『万世百物語』巻四「疫神の便船」より

疫神船に乗る

 天正八年、天下に疫病が流行って大勢の人が斃れた。
 その年の初夏のある日、近江の瀬田の渡し場に、大津の方角から京の都の者と見える品のよい若い女がやって来て、渡し船を所望した。
 日もこれから傾こうかという時刻であった。さらに向かい風も吹いていたが、比良の峰から吹き下ろす強風ではなかったから、大丈夫だろうと船を出した。
 しかし風にはばまれ、波に揺られて船足は遅い。女は『向こうに着くまで』と、うち入る波を防ぐのに苫(とま)を頭からかぶって、そこらに横になった。
 船頭が見るに、ぐっすり寝入っていびきが聞こえてくるけれども、苫の下に女がいるようなふくらみがない。怪しんで苫をちょっとめくってみると、そこには多くの蛇がもつれ折り重なっているのだった。数えたら千に余るほどもいただろう。
 船頭は額に冷たい汗が噴き出し、背筋が凍って、その恐ろしさは言いようもない。

 やっと行き先の岸も近づいたので、船頭は必死に声をかけた。その声で目を覚まして起きあがったのは、さっきの女だった。
 女が船賃を渡そうとすると、船頭は怯えて受け取ろうとしない。その顔が尋常でないのを見て女は、
「どうしたの?」
と尋ねた。
 船頭はごまかすすべもなく、震えながら見たままを語った。
 女はおかしそうに笑って、
「まあ、見たのね。でも、このことは人に話しちゃだめ、絶対に。わたしは蛇疫の神なの。いま京都から草津の里に行くところ。草津にはひと月ほど居るつもりよ」
 そう語って、女は竹の茂みに入りこみ、そのまま姿を消した。

 その夏、草津の一村が残らず疫病に罹り、七百人以上が死んだ。
 いっぽう京都では、春から夏のかかりまでは多くの死者が出たが、その後はおさまって何事もなかった。
あやしい古典文学 No.337