森田盛昌『咄随筆』上「幽霊に水を呑せし僧」より

幽霊に水を飲ませた僧

 妙慶寺の弟子僧 幽運は、成田半衛門殿の家来である守屋傅兵衛の息子だった。
 延宝七年冬のこと、寒念仏修行をして犀川橋から川上へと堤防の道を行くとき、幽霊に出逢った。

 髪を垂れ乱し、腰から下を血に染めた女が、
「わたしは、この世に亡き者です。水をひとつ飲ませてください」
と……。
「これほどたくさんの犀川の水、心のままに飲めばよいではないか」
 幽運は恐怖を押し殺して応えたが、女は、
「いいえ、人がくれる水でなければ飲めません」
と言う。
「ならば飲ませてやろう」
 首に掛けた鉦鼓で犀川の清流を二杯三杯と汲んでやると、がぶがぶがぶがぶと立て続けに飲んで、
「もはや思い残すことはございません」
 女は一礼して消え失せた。

 庵に帰るやいなや幽運は昏倒し、三日患ったのち死んだという。
 幽運の姉で、松崎亀之助殿の奥方に仕えるふきという女中が、詳しく語ったことだ。
 幽霊は産女(うぶめ)だったのだろう。
あやしい古典文学 No.615