『太平百物語』巻之五「主部隼太化物に宿かりし事」より

卒塔婆男

 伊予ノ国の川之江に、主部隼太という者がいた。
 あるとき、松山まで行って用事を果たすため、夜明けとともに家を出て道を急いでいると、およそ四五里も行ったかと思うところで、突然に日が暮れた。
「あれ、おかしいな。まだ真っ昼間のはずなのに」
 不思議がりながら道の先をうかがうと、百姓の家があるらしく、かすかに灯火が見える。その火を頼って行って表戸を叩くと、みすぼらしい老婆が顔を出した。
「どなたかの?」
「旅の者でございますが、まだ日は高いと思っていたところ急に暮れてしまい、困っております。今夜一晩、宿を貸してもらえませんか」
「そうかい、かまわんよ。こっちへ入りなされ」

 隼太が喜んで内に入って休んでいると、やがて横たえた体の後ろの壁がめりめりと揺るぎだし、続いてそこらの柱から床にいたるまで残らず揺れだした。『地震か』と思ってしばらくはこらえたが、いよいよ揺れは強くなり、はやくも台所のほうでは柱が折れ、屋根が壊れた。
 『こりゃ大変』と逃げ出そうとしたとき、納戸が崩れ、傍らの柱も倒れかかって、ついに天井が隼太の上に落ちてきた。いまはもう身動きできず、声を限りに泣きながら、
「誰か、助けて」
とわめいた。
 往来の人が声を聞きつけて行ってみると、とある墓場で、変な男がたくさんの卒塔婆の下敷きになって泣いている。人々は呆れ果てながら、助け起こしてやった。

 隼太が茫然としてあたりを見るに、一面の墓地で、柱と思ったのは卒塔婆、夜のはずが元の昼間だったから、大いに驚いた。もと来た道まで助け出されると、もう松山へは向かわず、川之江に引き返したという。
「この隼太という者は、日ごろ多くの人を騙していた。それを狐が憎んで化かしたらしい」
などと、人々は噂したのである。
あやしい古典文学 No.773