高力種信『金明録』第五冊より

飛行犬

 去年すなわち文化十年の十二月末ごろから、名古屋の納屋裏あたりに噛みつき犬が出没して、無差別に人を襲い、負傷者続出、よって夜は往来の人も絶えた。
 御役所から殺すようお達しがあったので、数十人の人夫を動員して犬を追い詰め、取り囲んで突き伏せようとしたとき、犬は突然高く跳躍した。そのまま高塀を越え、屋根を越え、川の上を高く飛び越して、かなたに逃げ失せた。
 風説では、この犬は狐の子を喰ったため、怨みをもった親狐が憑依して狂気の振る舞いをさせており、飛行自在なのもそのせいだなどと言った。しかし、確かなところは分からない。

 年が明けて文化十一年、犬はいよいよ頻繁に人に噛みつき、通行の人を甚だしく難儀させたが、一月二十九日、江川の下水車付近において、鉄砲で撃ち殺された。
 撃ったのは、御松明方の徳本弥九郎、瀬田助三郎の両名である。『御鷹狩りに差し支えるゆえ射殺せよ』との命が下ったのだそうだ。
あやしい古典文学 No.889