『岩邑怪談録追加』「好思案谷の事」より

よい思案谷

 ある猟師が、関戸村イヤヅケ谷に行って、夕方から猟小屋にこもり、雉の来るのを待っていた。
 ふと見えば、蚯蚓(ミミズ)が一匹、小屋の前を這っている。そこへ蝦蟇(ガマ)が飛び出して、蚯蚓を食って去ろうとした矢先、藪の中から蛇が這い出て、蝦蟇を捕らえて呑み込んだ。猟師が不思議なことだと思っていると、今度は雉(キジ)が来て、蛇を捕らえてついばんだ。
 猟師は『この獲物を待っていた』と、鉄砲をとって狙いすまし、雉を撃とうとしたが、因果応報ということに思い当たった。『今こいつを殺せば、次は自分が殺される番かもしれない』。そこで鉄砲を下ろし、長居は無用とばかり、ただちに小屋を出た。
 二足三足歩んだところで、何者とも知れず、背後の林から山も崩れるばかりの大声で、
「よい思案だ、よい思案だ」
と繰り返しわめいた。
 猟師は驚きたまげて、後も見ず一目散に走り帰った。以来、二度とその谷には入らなかったという。

 この話を伝え聞いて、他の猟師もイヤヅケ谷に立ち入らなくなり、そこはいつしか「よい思案谷」と呼ばれるようになった。
あやしい古典文学 No.1554