神沢杜口『翁草』巻五十七「早道」より

早足

 石原市正は京都近郊に住まいする神職で、きわめて足の速い男である。
 大阪に友人がいて、京都からしょっちゅう遊びに行くのだが、それがまるで近村を歩き回るような気軽さだ。なんでも、日帰りで伊勢参りに行ったこともあるそうだ。

 あるとき、用事があって山道を通ったら、二三人の山賊が出て、「酒手をよこせ」と脅した。石原は、ここが力の見せ所と思って、
「よし、酒手をくれてやろう。わしについて来い」
と、存分に俊足を発揮して歩んだ。
 ただでさえ早足なのが目いっぱいの脚力で行くのだから、勝負にならない。山賊もちょっとは追ったようだが、
「なんだあれは。天狗か」
との罵り声が後ろから微かに聞こえて、それきり諦めたらしかった。
 石原自身の語るところでは、そのとき被っていた菅笠は、風を受けて菅が自然に抜けてしまったとのことだ。

 石原の知人の某は、以前から早足についていきたいと思っていて、石原にそのことを言うと、
「とてもじゃないが、ついてこれるものじゃない。無駄なことだ」
との返事だった。それでも、
「遠方はしょせん無理だろう。しかし、せめて祇園・清水あたりまでは同道したい」
と頼んだので、石原も承知して、一緒に行くことになった。
 歩きだすとともに、なんとなく足取りが遅れてしまうので、走って追いつきなどして、やっと祇園までは辿り着いたが、もはやこれ以上は駄目だと思って、二軒茶屋の辺りで止まって腰をかけた。
 だから言ったではないかとばかりに、石原は一人で清水へ向かった。
 茶店で大息をついた某が、て、熱い茶を一杯呑みきらないうちに、はやくも清水参拝を終えた石原が戻ってきた。まさに稀代の早足といえよう。

 石原が常々言うことには、
「普通の人は、足だけで歩くから疲れるのだ。我は、ある時は足で歩み、またある時は腹で歩み、はたまた手、腰と、歩くところを変える。そうすることで足が休まり、疲れることがない」と。
 概して、一事に秀でた人は役に立つ。楠木正成が取り立てた「泣き男」ですら、その特技によって功を立てた。まして早足などは、戦は言うまでもなく、普段でもどれだけ役に立つか、計り知れない。
あやしい古典文学 No.1988