智頭急行線

 智頭急行線に乗ってみた。
 第三セクターの智頭急行株式会社が経営し、兵庫県のJR山陽本線上郡駅から出て、JR姫新線と交差し、岡山県をかすめて、鳥取県のJR因美線智頭駅に至る鉄道で、開業1994年12月と、新しい。
 関西から鳥取方面への近道だが、途中に宮本武蔵駅なんてのがあるのでも知られている。
 各駅停車で、はしからはしまで乗ってみた。客がいない。こんなことで大丈夫かと心配になる。
 心配ではあっても、客の少ないのは心地よい。のんびりと駅から駅へ運ばれて、目的地のひとつ、平福駅(兵庫県佐用郡佐用町)に降り立った。

 ここは、中世から江戸時代初期まで山城の利神城の城下、利神城破却後も因幡街道の宿場町として賑わったところで、やがて時代の流れに取り残されたために、往時の風情を残しているのであった。
 もっとも、「古い町並み」なんていって、やたらありがたがるのはどうかと思う。一般に、古さそのものに魅力があると思うのは馬鹿げている。最初は何だって新しかったのであって、時間がたったから古くなったにすぎない。
 歴史の興味深さが、その対象の古さそのものにはないように、こういう土地をほっつき歩く面白さは、別なところにある。

 右の写真は、旧街道上、平福の家並みへの入口を撮ったものだ。
 このゲートは、いつごろつくられたのだろう。
 左側の「宿場町ひらふく」からは、町並みを観光の売り物にしようという意図がうかがえる。とすれば、せいぜい20年か、もうちょっと前といったところが限度だろう。
 一方、右の「平福商店街」だが、この写真を見てもわかるように、現在のこの通りは、少なくともよそ者の目には、商店街の体をなしていない。20年かそこら前には、それなりに<商店街>だったのだろうか。

 通りを気をつけて歩くと、現役の商店も点在していることがわかる。少し前まで商店だったとわかる家屋も多い。それにしてもひっそりした風景。
 実は、左側の家並みからさらに3、40メートル左には、国道が通っていて、そこでは車の行き来がひっきりなしなのであった。

 左の写真は、各街路灯に取り付けてある商店その他の広告看板である。ゲートのも同じだが、杉板を打ち抜いて文字を透かしたもので、なかなかしゃれている。
 ちなみに、この「河内屋」という商人宿風旅館は、この広告の向かいでちゃんと営業していた。

 話変わって、智頭急行沿線で驚いたこと。
 「あわくら温泉」という駅がある。その昔、右写真のようにタヌキが療養したという温泉だが、ごく閑散とした集落である。およそ人気というもののない晩秋の山峡に、平屋建てながら、かなり広大な建物が一つ。
 山村振興事業なんかで、椎茸でも栽培しているのかと思わせたが、それは室内ゲートボール場であった。何組も同時に試合ができる広さである。
 窓越しに覗くと、例のゼッケンをつけた老人が、例の滑稽なまでにきびきびした動作で、動き回っている。
 うまい……。
 しかし私は、そのようにゲートボールに真剣な老人を見ていると、なんだか考え込んでしまうのだ。
智頭急行線の情報はこちらに詳しいので、興味があれば → どうぞ1どうぞ2