たこ地蔵

 大阪府岸和田市内の「蛸地蔵」という所に行ってきた。南海本線にその名の駅がある。

 そもそも「蛸地蔵」とは何なのか。地蔵がタコなのか。
 そんなはずはない。京都には「蛸薬師」という地名があるが、あれだって、薬師如来がタコだというわけではあるまい。

 蛸地蔵は通称で、ほんとうは「天性寺」という。
 境内に石碑があって、蛸地蔵の名の由来が書かれている。次のようなことだ。
 建武年間(1334〜38)に和田高家という人物が岸和田に城を築いたのだが、その時、どういうわけかタコの背に乗った地蔵が近くの海辺に現れた。けれど乱世だったので人々は信仰どころではなく、相手にしなかったらしい。
 さて、時は流れて二百五十余年。
 天正十二年(1584)三月、隣国紀州の根来衆と雑賀衆が来襲し、豊臣秀吉の部将中村一氏(なかむらかずうじ)らがこもる岸和田城を攻撃した。
 城方敗色濃厚のある日、沖から巨大な法師が無数のタコを従えてやって来た。上陸したタコ軍団はやたら強くて、根来、雑賀の衆徒はさんざんに打ち破られたのである。
 大法師はかつての地蔵の化身で、その後のいきさつを経て、地蔵尊像が天性寺にまつられることになった。
 右写真が日本で最大級だという地蔵堂である。閉じられていて、像を見ることはできなかった。
 地蔵堂がデカイからといって、像もデカイとは限らない。
 しかし、どうも、あの中に八本足の巨大な地蔵が、のたっと詰まっているような気がしてならない。

 ちなみに、この寺の絵馬もタコである。
 絵馬を見て帰りがけに思ったのは、『タコは人気者である』ということだった。
 その点、イカは駄目だな。「イカ観音」とか「スルメ不動」なんて、聞いたことがない。