松浦静山『甲子夜話』巻之二十八より

旗本某の覚悟

 人の覚悟にはいろいろあるものだ。以下は、ある人が宴席で語ったことである。

 この春の「大的上覧」のとき、某という旗本が、的に向かって弓を上げて、かまえたまではよかったが、手がぶらぶらとして定まらないまま、ばったりと後ろにひっくり返ってしまった。
 射術上覧などのときは気おくれしてしまいがちなので、こっそり酒を呑んで落ち着こうとする者が多いという。この旗本もそうしたが、飲み過ぎてしまったのである。

 人々は驚いて、急病ととりつくろって御前を退かせようとしたけれども、当人が従わない。
「射術上覧のために出場したのだ。ここで退くわけにはいかない」
と言い張って、矢をつがえて的に向かう。しかし、なにしろ泥酔していて、手先が定まらないから、矢先があっち向きこっち向きしてまことに危ない。
 組頭が出てきて止める、御目付も出てくるといった騒ぎで、やっとのことで休息所に連れ戻し、それから帰宅させたが、まるで正体がないありさまだった。

 だいぶして酒が醒めて、その間のことを人に聞き、慚愧したけれども、もう取り返しがつかない。ただ茫然とするばかりである。
 数日過ぎて、『自分が御前であんな醜態をさらしたのも、もとはといえば酒のせいだ。この身はもはやこれまで、人に顔向けなどできたものではない。こうなったら死んでしまおう』と決心した。
 それからというもの、毎日酒を呑むこと絶やさず、ひたすら努めて豪飲したので、遂に病気になり、死んだという。

 その死に方は、旗本某がきっぱりと覚悟したことだったわけだが、ほかにやりようがあったのではないかという気もする。
あやしい古典文学 No.1