『今昔物語集』巻第二十七「猟師の母、鬼と成りて子をくらはむとする語」より

鬼の手

 その昔、兄弟の猟師がいて、いつも連れ立って山へ行き、鹿や猪を射ていた。
 その猟のやり方は、「待(まち)」といって、高い木のまたに横木を取りつけ、そこに腰を据えて、鹿が木の下に来るのを待って射るのであった。

 ある夜、兄弟は五十メートルばかり隔てて、向かい合って木の上にいた。陰暦九月、月末の闇夜できわめて暗く、何ひとつ見えるものはない。ただ鹿の来る音を聞き取ろうと待つうち、しだいに夜は更けたが、鹿はやって来ない。

 そうするうち、兄のいる木の上から何者かが手を下ろして、髻をとって上に引っ張り上げようとする。驚いて、髻を掴んでいる手をさぐると、たいそう痩せ枯れて骨ばった人の手であった。
 兄は、『鬼がおれを喰おうとして、引っ張り上げているのだな』と察して、弟に知らせようと呼びかけた。
「おーい、聞こえるか」
 闇の向こうから弟が応える。
「どうした、あにき」
「なあ、もし今、おれの髻を引っ張る怪しいやつがいたとしたら、おまえ、どうするか」
「それなら、見当をつけて射てやろう」
「実はな、今、ほんとに髻を掴んで引っ張っているやつがいるんだ」
「わかった。声を頼りに射よう」
「よし、射ろ!」
 弟がただちに雁股の矢を射放つと、兄の頭上をかすめて何者かに射当てた手応えが、確かにあった。

「当たったはずだ」
 そう弟が言ったとき、兄が手でさぐると、射切られた手首が髻を掴んだままぶら下がっていた。
「うん、化け物の手を射切ったぞ。今、ここに持っている。やれやれだ。さあ、今夜はもう帰ろう」
「そうだな。そうしよう」
 二人は木から下りて、連れ立って家へ向かった。家に帰りついたのは、夜半過ぎである。

 さて、この兄弟には、年老いて立居もままならない母親がいて、その母親の部屋をまん中にし、両側に兄弟それぞれが住んでいた。
 帰ってみると、母親が部屋でひどく呻くのが聞こえた。
「何をそんなに唸っているんだ」
と声をかけたが、返事もない。

 兄弟が火をともして、射切った手を見ると、母親の手によく似ている。たいそう怪しく思って、よくよく見るのだが、見れば見るほど母親の手である。
 そこで兄弟が、母親の部屋の戸を引き開けると、母親はやにわに起き上がり、
「おのれら、よくも!」
と叫んで飛びかかってきた。兄弟は、
「おふくろ、あんたの手なのか!」
と言いざま、手を部屋に投げ入れて、戸を引き閉じてしまった。

 その後まもなく、母親は死んだ。
 亡骸の片手は、手首から射切られてなくなっていた。母親は、ひどく老いぼれたあげく鬼となり、子を喰おうとして、あとをつけて山へ行ったのである。

 親が年をとってはなはだしく老いてしまうと、きっと鬼になって、このように我が子をも喰おうとするのである。
 兄弟は、母親を手厚く葬ったという。
あやしい古典文学 No.13