『古今著聞集』巻第十六「七条院屁ひりの判官代の事ならびに孝道療治法を教示の事」より

どうにも止まらない

 高倉天皇の后であった七条院のもとに、屁ひりの判官代と呼ばれる人物がいた。
 七条院がかわいそうに思って、幼いときから身近に召し使ってきたが、とにかく何かにつけて屁をこくばかりの男なのであった。
 立ち上がるといっては屁をこき、座るといってはやはりこき、といった具合に、動作するたびに屁をこく。もちろん故意ではなく、一種の病気だという。七条院以下、皆なれっこになっていて、おかしがって笑うことも、もはやなかった。

 ある日のこと、音楽家の藤原孝道がやってきた。
 七条院が、ふと悪戯心を起こして、判官代を呼んでおっしゃることには、
「あそこに来ているのは、おまえの病気の治療法を心得ている者だよ。さあ、行って尋ねてみなさい」
 判官代は、
「いや、でも、知らない人ですから」
と尻込みしたが、
「かまわぬではないか」
とおっしゃるので、小走りに走っていって、孝道の面前に進み出た。

「まことにもって変なことを申し上げますが、私、なんとも情けない病気を持っております。その治療法をあなたがご存じとのことで、ぜひ承りたく、失礼を承知で参りました」
 孝道が、
「どんなことですか」
と問い返すと、相手はもじもじして、すぐには返事をしない。しばらくしてからやっと、
「ほかでもありません、屁がひどく出るんです。立ち動くに応じて、不本意ながら屁が出てしまい、公式の場でもおさまることがありません。御所でもそんなでして、なおのこと具合が悪いのです。どうしたものでしょうか」
 孝道は察しのいい男で、『これは誰かにかつがれているのだな』と気づいたが、平然としてこう言った。
「たやすいことですよ。薬もありますし、灸で治すこともできます。それも面倒なら、もっと簡単な方法がありますよ。宿所に帰られてから、『これが肝心』とばかりに腹に力を入れて、屁をこく訓練をするのです。たびたびこのように力んで、自分の意志で屁をこいておりますと、おのずから、公式の場では『ここは人前だ』という気持ちが働いて力みませんから、不本意に出たりしなくなります。ご自分の部屋で十分に力んで、屁をこき尽くしてしまいなさい」
 判官代は喜んだ。
「やあ、ほんとに簡単な治療法ですね。早速やってみましょう」

 すぐに退出して、教えられたとおりにやってみた。
 その結果、判官代の屁をこく習性はいちだんと嵩じて、のべつ幕なしにこきまくり、もう、どうにも止まらなくなってしまった。
あやしい古典文学 No.15