根岸鎮衛『耳袋』巻の四「狐狸のために狂死せし女の事」より

奥女中の良縁

 寛政七年の冬のこと、小笠原家で、器量は奥女中のうちでも一二という女が、ふと失踪してしまった。実家に問い合わせても、行方はまったくつかめない。
 そもそも、町屋とは違って厳重に壁で囲まれた大名屋敷である。人知れず抜け出すのも容易ではないのだがと、皆あれこれ不審がった。

 二十日ほど過ぎたある日、同僚の奥女中が手洗いをしていると、すうっと白い手が出てきて、貝殻で水を汲もうとする。女は悲鳴をあげて気絶した。
 その声に人々が駆けつけて見ると、女の風体の怪しいものが縁下に這い込もうとしていたので、大勢で押さえつけて捕らえた。それがなんと、かの失踪した女であった。

 なにはともあれ湯水などを与え、わけを尋ねるけれども、なかなか答えようとしない。執拗に尋ねてやっと、
「わたくしは良縁にめぐまれて嫁ぎ、今は夫を持つ身なのです」
などと応えた。
 嫁ぎ先を聞いても、はっきりしたことを言わない。なおも、いろいろ宥めすかしつつ問いただすと、
「それでは、わたくしの住むところにお連れしましょう」
と、縁の下に入っていく。三人の者があとについて行ったところ、縁下のずっと奥まった所に、ござ筵を敷き、古い茶碗などが並べてあった。
 夫の名を尋ねても、
「かねてお話ししているとおりでございますよ」
と繰り返すばかりで要領を得ず、まさに狂人の有様であったから、その次第を役人に届け出のうえ、実家に帰してやった。

 実家の両親は娘が見つかったことを喜び、さっそく医者に見せ、薬を与えて療養させた。しかし、そのかいなく、まもなく死んでしまったという話だ。
あやしい古典文学 No.30