荻田安静『宿直草』巻四「送り狼といふ事」より

「送り狼」の由来

 狼には、執拗に人のあとをつけて、相手が精根尽きたところを襲って喰うという習性があるそうだ。『送り狼』という言葉は、そこからできたという。

 一方、こんな話もある。
 ある男が、隣の里に愛人をつくって、毎晩遠い道を通っていた。身分の低い貧しい男で、携える刀もなく、かわりに一本の棒を持ち、腰には鎌をさして、女恋しさに夜道を行ったのである。
 ある月の明るい夜のこと、ふと見ると、道端に狼がいた。男がかまわず進んでいくと、この狼、吠えようとするに声が出ず、口をあけて苦しそうである。
 『こいつ、喉に何か刺さっているな』と気づいたから、よけいなことではあったが、つい、
「来いよ。抜いてやろう」
と言うと、狼はためらうことなく近寄ってきた。
 肩脱ぎになり、口に手をさし入れてさぐると、はたして刺さっているものがある。取り出してみると、五六歳の幼児の足の骨であった。
「これからは、よく噛んで喰えよ」
と言って、男はその場を立ち去った。
 狼は恩に感じたのだろう。それからというもの、男が宵に女のもとに向かい、暁に帰るのを、三年間一夜も欠かさず送ってくれたという。

 この話から、『送り狼』と言うのかもしれない。
 畜生もまた恩を知るのである。この色男にとって、狼はまさに一匹当千の護衛となった。
 しかし、この話、ちょっとの違いでただ一口に喰われる不忠沙汰にもなりかねない。
 舟は人の役に立つ乗物だが、転覆すればたちまち人を殺す。一般に、極めて有益なものは、反面で極めて有害なのである。
あやしい古典文学 No.39