根岸鎮衛『耳袋』巻の五「菊虫の事」より

お菊の百年忌

 寛政七年ごろ、摂州尼崎の侍屋敷の井戸から、おびただしく妖しい虫がわいて出て、そこらじゅうを飛び回った。
 一見、玉虫かこがね虫のような形をしている。しかし、さらに虫眼鏡で子細に見ると、手を後ろ手に縛られた女の形であったという。
 素外という俳諧の宗匠がかの地で捕らえ、江戸で知り合いに見せた。私のところに来る者も、それを見たそうだ。信当という宗匠は一つ貰って保管し、翌春、人に見せようと取り出すと、蝶になって飛び去ったという。

 元禄のころ、尼崎には青山家が在城していて、その家臣に喜多玄蕃という者がいた。
 妻ははなはだ嫉妬深く、菊という侍女を玄蕃が気に入って召し使っているのを憎んで、飯を盛った椀に針を入れて菊に配膳させた。そして、針が口中に刺さって玄蕃が大いに怒ると、菊のしわざだと讒言した。
 玄蕃は非情にも、菊を縛って古井戸へ逆さまに投げ入れて殺し、それを知った菊の母も、同じ井戸に身投げして死んだ。

 その後、喜多玄蕃の家は断絶し、領主も替わって年久しいが、去年は百年忌にあたるので、今も残る怨念が虫と化してわき出たのであろうか。
 『播州皿屋敷』という浄瑠璃は、この菊の悲劇をもとにしたのではないかと、出来事を語った人は言うのである。
あやしい古典文学 No.51