松浦静山『甲子夜話』巻之六十七より

残忍

 泰平の世の中ではあるが、広い都の隅々では、ひどく残忍なことも行われている。
 以下は、ある女性の体験談だ。



 ある日のこと、わたしは船で深川まで行く途中でした。
 三叉のあたりを通ったとき、傍らにやや大きな船がいて、中に病気らしい女が横たわっていました。女は苦しげな声で、
「せつない。せつないよ……」
と言っています。
 女を五六人が取り囲んでいて、
「もうすぐだ。医者に連れていってやるんだから」
と声をかけていました。
 ところが、私の乗った船が二十メートルばかりもこぎ離れたときです。向こうの船のほうから大きな水音がしました。
 私は、
「何なの?」
と、船に乗り合わせた人に尋ねました。
「あれはな、今の病人を水に投げ込んだのさ」
 わたしは覚えず身震いし、ただ涙を流すばかりでした。



 その病気の女は「よたか」といって、最下等の売春婦なのだ。
 年老いてしまうまで抱えおき、さんざん稼がせたあげく、重い病気にかかったとなれば、そのままにしていては失費も多いし、送り帰す身寄りもない者なので、結局このように騙して船にのせ、川水に投げ込んで殺すのだそうだ。
 心根の卑しい者のすることとはいえ、あまりにも天を畏れない所業である。いずれ刑罰を免れないのではないか。
あやしい古典文学 No.56