浅井了意『伽婢子』巻之九「人面瘡」より

よく食う腫れ物

 山城の国、小椋という所に住む農民が、久しく体調を崩していた。
 あるときは悪寒発熱して瘧(おこり)のようだったし、またあるときは全身に疼痛が走って痛風に似ていた。
 いろいろ療治したが癒えずに、半年後、左の腿の上に腫れ物を生じた。人の顔のような形で、目と口があるが、鼻や耳はない。
 その後は腫れ物が痛むだけになったが、その痛みは言いようもなく甚だしいものだった。

 試しに腫れ物の口に酒を入れてみたら、酔っぱらって赤くなった。
 餅や飯を口に入れると、人が物を食うように口を動かし、のみ込んでしまう。食べ物を与えているうちは痛みが止まるが、食べさせなければひどく痛くて堪えがたい。
 病人は痩せ衰えて骨と皮になり、死ぬのはもう時間の問題というありさまになった。あちこちの医者が話を聞いて訪れては療治を行うが、内科・外科すべて、術をつくしても効果がない。

 そこへ諸国を行脚している修行者がやって来た。その男の言うには、
「この腫れ物は、まこと世にまれな病だ。かかったが最後、まず死んでしまう。しかし、何かひとつの手だてによって癒えることがあるそうな」
 病人は、
「この病気さえ治るなら、伝来の田んぼを売り払っても惜しくはない」
と、ただちに田畑ことごとく売却し、代価を渡した。

 修行者はさまざまな薬種を買い集め、金属、石、土から草木にいたるまで、一種ずつ腫れ物の口に入れた。食い意地のはった腫れ物のやつは、それらを皆のみ込んでいったが、貝母(ばいも)というものを入れようとすると、眉をしかめ、口を塞いで食おうとしない。
 これだ! というわけで、貝母を粉にして、腫れ物の口を押し開き、葦の筒でもって吹き入れると、さしもの難病も、七日のうちにかさぶたが出来て治ってしまった。

 世に言う「人面瘡」とは、このことである。
あやしい古典文学 No.71