井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻三「行末の寶舟」より

踊りを見に行った

 人間ほど危険を顧みないものはない。

 信濃の国の諏訪湖には毎冬、氷の橋がかかり、まずは狐がそれを渡る。以後は安全なので、人も馬も自由に通行することができるのである。
 春になると、狐が橋を渡って帰ってくる。その後は氷が解けるので、往来すると危ない。それなのに、根引の勘内という無鉄砲な馬子が、岸をめぐると道が遠いからと、人々が止めるのを振り切って橋を渡っていった。
 すると半ば過ぎまで行ったところで、にわかに暖かい風が吹いて、橋の後先ともたちまち溶け、勘内は波の下に沈んでしまった。
 事件はだれもが知るところとなり、『かわいそうに』と噂したのである。

 同じ年の七月七日、七夕祭りの催しで、人々がカジノキの葉に歌を書いて湖に流して遊んでいたところ、沖のほうから、光り輝く舟に見慣れない人が大勢乗ってやって来た。
 中にあの勘内が、一段高い玉座にすわっている。馬子の昔にひきかえ、その立派さは見違えるばかりだ。
 勘内は静かに舟から上がり、以前の親方のところに行った。だれも皆驚いて、どうしたのだと訊くと、
「私は竜宮の都に流れ着いて、今は竜王の買物役をつとめています。金銀は、ほら、私の思いのままです」
と言って、黄金二貫をくれるのであった。
「いやあ、竜宮はこちらより米も安い。鳥も魚も手づかみで獲れる。女房はよりどりみどりだし、旅芝居の若衆も来るよ。はやりの『さんがら節』を歌い明かして、寒さも知らなければひもじさも知らないでいる。正月も盆も、こちらと少しも違わない。盆の十四日から灯籠をともすが、借金取りが来ないのがこちらと違うところです。竜王様の『この七月は、勘内にとって竜宮で初めての盆だから、いちだんとにぎやかにするがよかろう』というお言葉で、まだ男を知らない十四から二十五までのきれいな娘を国じゅうから選び出し、大がかりな盆踊りの準備に余念がない。私もその用意のための買物に来たのですよ」

 勘内が召し連れてきた者には、なんとなく磯臭く、頭が魚の尾のようになったのもいれば、バイガイみたいなのもいた。その者どもにたくさんの買物を持たせて、さあ帰ろうというとき、
「まったく、あの国の女のスキモノぶりを、みんなに見せたいものだな」
 聞いて一同、色めきだった。
「そんなことができるのか」
「ああ、私の意のままだ。十日ばかり遊ぶつもりでいらっしゃい。帰りには銀銭を舟いっぱいに積んでお送りしよう」
と勘内が応えると、
「わしは長いよしみだから」
「いや、わしこそ他人より親しかった」
などと言って、争って連れて行ってもらおうとするのだった。
 結局、親方以下七人が選ばれた。取り残される人は残念がったが、勘内は耳をかさなかった。

 美しい舟に乗り込もうという寸前、七人のうちの一人が思いとどまって、
「命にかえてもというほどの大事な用を忘れていた」
と言って、行かなかった。
 ほかの六人が、
「それでは、さらば。すぐに戻ってきますよ」
と言っているうちに、舟は波間に沈んだ。

 それから十年あまり過ぎたが、たより一つない。『踊りを見に行ったそうな』という言い伝えが残ったばかりである。
 六人の後家の嘆きはひとしおである。
 一人だけ行かなかった人は今も生きていて、代書屋稼業で暮らしているという。
あやしい古典文学 No.72