滝沢馬琴『兎園小説余録』第二「鰻鱧の怪」より

ウナギの怪

 わが友、鈴木有年の叔父の某乙は、左官の頭領である。若いころは放蕩者で、浮草のごとく世の中を渡り歩き、最後に左官になったのだという。

 左官になる以前、某町にあるウナギ屋の養子になって、しばらくその家に住んでいたことがあった。養父とともにウナギの買い出しに千住へも行き、日本橋の小田原河岸へ行くこともしばしばであった。
 ウナギの取り引きは、一笊の価をいくらと決めてから、手でウナギを一つ一つ引き上げて見て、よい笊を選ぶのだという。
 ある朝また、養父とともに買い出しに出かけた。型通りにウナギを引き上げて調べてから、幾笊かを買い取って、人足に担わせて持ち帰った。

 養父が店の生簀箱にウナギを移していると、極端に大きなウナギが二匹いるのがわかった。養父はいぶかしく思い、養子の某乙に、
「こんな大ウナギがいたよ。今朝買ったときには、ここまでデカイのはいなかったはずだが。どういうわけだろう」
 某乙も不審に思ったが、
「確かに、こんなのがいたのは記憶にありませんね。でも、ここまで大きいのは珍品ですよ。お得意のなにがし殿はウナギの大きなのがお好きだから、囲っておいて、あの方に売ったらどうでしょう」
と言うと、養父もうなずいた。
「そうだな。あの人にお出ししたら、値段のことなど言わずに喜ばれるだろう。こいつは囲っておこう」

 次の日、その大ウナギ好きの町人が、友人一人を連れてやってきた。養父が、格別の大ウナギが手に入った話をすると、大いに喜んで、
「それは珍しい。すぐに焼いて出しておくれ」
と注文し、友人とともに二階に登った。

 養父は、大ウナギの一匹を生簀から引き出した。裂こうとしたところ、長年手慣れた仕事なのに、どうしたわけか、ウナギの頭を打つ錐で、わが手をしたたか突き刺してしまった。
 痛みが堪えがたく、やむをえず養子の某乙を呼んで、
「わしとしたことが、こんな怪我をしてしまった。おまえ、代わりに裂いてくれ」
と頼むと、傷ついた左手を抱えて引き下がった。

 某乙は代わって、例のごとくウナギを裂こうとしたが、大ウナギは左手にきりきりと絡みついて、締めつける力は尋常ではない。血が通わなくなった腕がひどく痺れて痛むので、ちょっと手を引こうとすると、大ウナギは尾を反らし、某乙の脾腹を強烈に打った。ウッ!と息が詰まって、あやうく気絶せんばかりである。
 このように痛い思いを重ねて難儀しながらも、さすがに助けを呼ぶことはせず、なおもウナギを押さえる力を緩めなかった。そして、ウナギに向かって囁いた。
「おい、よく聞け。どんなに暴れようと、もう、おまえの命は助からないのだ。頼むから首尾よく裂かせてくれ。そうしたら、おれはこの家を立ち去って、以後けっしてウナギ屋のような渡世はしないから……」
 その心が伝わったのか、ウナギは絡みついた体をほどき、某乙の手で静かに裂かれた。

 これを焼いて客に出したけれども、お得意の町人もその友人も、気分が悪くなったと言って、食べようとしない。お得意さんのほうはそれでも半串だけ食べたが、死人みたいな臭いがして胸が悪いと、吐き出した。

 その夜の二時ごろ、ウナギの生簀のところから騒がしい音が聞こえてきた。
 家の者はみんな驚いて、何だろうと気味悪がるなか、某乙は起きて手燭を持ち、生簀に行って見ると、夜分は生簀の蓋に重しの石を置くのだが、その石も置かれたままで、特に異状はなかった。
 『それでも、もしや……』と思って、生簀の蓋を開いて見たところ、なんと、夥しいウナギがすべて蛇のように頭をもたげて、某乙を睨むかのようである。そればかりか、もう一匹残っていた大ウナギは、どこへ行ったのかいなくなっていた。
 某乙は恐くてたまらなくなり、次の日、養家を逃げ出した。

 上総に住む実の親のもとで一年ばかりを過ごしたころ、飛脚が養家からの手紙を届けてきた。『養父は去年から大病を患って、今はまるで頼みにならないから、急いで帰ってきてほしい』というのである。
 まだ養家と離縁していなかったので、やむをえず、養父の看病をしようと立ち帰った。
 戻ってみると、養母は情人を家に引っ張り込んで商売には身を入れず、寝たきりの養父は奥の三畳の間に押し込められて、看とる者はだれもない有様だった。
 某乙はそれをたしなめて、病人を納戸に寝かせた。
 薬をすすめ粥を食べさせようとしても、まったく飲みも食いもしない。ただ水を飲むことを好む。物を言うことはできず、ウナギのように顎をふくふくさせて息をつくという、もうなんとも悲しく情けない姿であった。
 このような業病であったから、さらに病むことしばらくにして、ついに息を引き取った。

 某乙は後のことをていねいに始末してから、養母と親族に暇を乞い、養家と離縁した。その後、左官の技術を習って、それで世渡りをするようになったのである。

 これは天明年間のことだから、叔父の身の上のこととはいっても、有年は知らなかった。
 今から何年か前、家を改築したときに、壁一式を叔父に頼んだので、叔父は弟子を毎日遣わすとともに、自分もおりおり来るようになった。
 ある日の昼食にウナギの蒲焼きを出したところ、叔父はたいそう忌み嫌って、
「ウナギは見るのも厭だ。はやく下げてくれ」
と繰り返し言う。有年夫婦がいぶかしく思って、
「普通の職人ではなく叔父さんだからこそ、わざわざウナギをあつらえたのに、嫌いとあれば無理強いもできない。残念なことだ」
と呟いたのを、叔父は慰めて、
「おれがウナギを忌み嫌うのは、並み大抵のことではないのだ。そのわけは、おまえが生まれる前のことだから、知らないのも無理はない。ひとつ懺悔のために話してやろう」
と、この怪談を語ったのである。

 その叔父の名も養父の家名も簡単にわかるが、めでたい話でもないので、あえて穿鑿しない。有年の話したままに記録するばかりである。
 かの大ウナギは希有のもので、叔父の腕に三重に巻きついて、なおかつ尾で脾腹を打ったということから、その長さを推量するがよい。打たれたところは打ち身の古傷になって、今も寒暑のおりには痛みがぶり返すという。

 ウナギ屋を渡世にする者は行く末がよろしくないということは、よく聞くことであるが、これはまさしく怪談である。浮わついたホラ話ではない。
あやしい古典文学 No.76