林義端『玉櫛笥』巻之一「大鱸呑人」より

太古の池の大スズキ

 信州飯田の近郊に、民家多く、土地の広々とした村があった。
 古くから人が住みなしたところで、いたるところに田畑があり、その間に樹齢を経た木々が茂る。茅原薮には犬や鶏が鳴いている。まさに落ち着いた豪村の風情であった。

 ところが近年、この村の地面が、何の理由もなく十五センチばかり陥没するという出来事があった。
 これはどうしたことだ、と大騒ぎになり、多くの家が他領に移住してしまった。しかし、肝のすわった者たちは、
「この程度のことが何だというのだ。火で焼け死ぬのも水に溺れ死ぬのも、みな前世からの因縁による。どこに住もうと死ぬ者は死ぬし、死なない者は死なないさ」
などと言って、あいかわらず村に残っていた。

 一二年して、今度は六十〜九十センチ近くも陥没した。
 この時には、残っていた大胆な者たちも、
「これはただごとではない。この村は奈落の底に沈んでいくのだ。ああ、恐ろしい」
と、急いで家財をまとめ、西へ東へと逃げていった。その騒ぎは、火事の風下のありさまさながらであった。

 さらに翌年、メリメリと音が鳴り轟き、またたくまに家も木もすべて大地の底に沈んでしまった。地下からはおびただしい水が湧き出して、村の跡は大きな池に変じたのである。数十メートルの高さを誇った古木も沈んで、梢も見えない。
 昔、近江の志賀の村が、平地の桑原であったのに、一夜にして湖になってしまったという。まさにこんなふうであったろう。

 近郷の者が話を聞いて行って見ると、かつての村はあとかたもなく、水あふれて青波が立ち、海と見まごうばかり。藻や浮草が繁茂し、三十〜六十センチもある大きな魚や蝦蟹のたぐいが無数にいる。
 新しくできたばかりの池なのに、どうして大きな魚がいるんだろうと、皆は疑った。すると一人の古老が進み出て、
「この池は、今新しくできたものではないぞ。思うに、ここは天竜川の源だ。かつての村の地底には、太古から天竜川の源たる大池があって、年月を経、時節が到来して湧き上がり、今、ここに姿を現しているのだ。だから、魚がいても不思議ではない」
と言うのであった。

 そうした古い池だからであろうか、なんと身の丈三メートルを超える鱸(すずき)も棲んでいた。口は大きく歯は鋭く尖り、鱗のさまは竜のようであった。
 池の岸は人の行き来する街道であったが、一人っきりの旅人や子供などを見つけると、この鱸が池から躍り出て、一口に呑んでしまう。噂が広まって、街道を旅する人は絶えてしまった。

 岸から数百メートル行ったところに、ニラの畑があった。
 ニラが青々と生え育っている時分、農夫が畑に来てみると、例の鱸が畑でドタバタ跳ね回って、ニラをむさぼり食っているではないか。
 農夫はこれを鍬で打ち叩き、ついに殺してしまった。

 鱸の腹を裂いてみたところ、脇差にニラがびっしり巻きついているのが見つかった。
 人々は、
「そういえば聞いたことがある。鍼や釘なんかの金鉄を飲んだり、肉に深く折れ入ってしまったとき、ニラを食べると金鉄に巻きついて、やがて糞に混じって出るというんだ。鱸のやつ、療治の仕方を知っていたのだよ」
などと、言い合ったという。
あやしい古典文学 No.87