菊岡沾凉『諸国里人談』巻之五「源五郎狐」より

源五郎狐、小女郎狐

 延宝のころ、大和の国の宇多に源五郎狐という狐がいた。
 百姓の家に雇われて農作業をすると、二人分か三人分の働きをする。それで重宝に思われて、いろいろな家に手助けに呼ばれた。
 どこからやって来て、どこへ帰っていくのか、だれも知らなかった。

 あるとき、関東のほうに飛脚に頼まれ、片道十日以上かかるところを、往復七八日で帰ってきた。以来たびたび飛脚として往来しているうち、小夜中山で犬に襲われて死んだ。
首にかけた文箱の宛先から、大和に知らせが行って、この源五郎狐の遭難がわかったのだという。



 また同じころ、伊賀の国、上野の広禅寺という曹洞宗の寺に、小女郎狐というものがいた。源五郎狐の妻だと、だれ言うとなく噂した。
 十二三歳くらいの少女の姿をしていて、寺の庫裏で雑用を手伝い、時には野菜を求めに門前に現れた。
 町の者は、少女が小女郎狐であることを以前から知っていた。日中、豆腐などを買って帰るところに子供らが集まって、
「こじょろ、こじょろ」
とはやしたてても、振り返ってにこっと笑い、あえて取りあわなかった。

 このようにして四五年を過ごし、その後行方知れずになった。
あやしい古典文学 No.88