荻田安静『宿直草』巻三「男をくふ女の事」より

男を喰う女

 有馬家の家臣、高屋七之丞は、日光山御普請をつとめ終えて江戸へ帰る途中、下野の国の某村に泊まった。日光御普請のための旅人の宿にと、新しく五十軒ばかりを建てた村である。
 二十四か五の亭主と二十歳ばかりの女房の二人だけの宿だったが、ずいぶん馳走してくれた。
 夜も更けてきたので、高屋は座敷に、若党と中間(ちゅうげん)七人は次の間に寝床をとった。夫婦は、壁一つ隔てた納戸に寝るらしい。

 真夜中、にわかに屋根板がばりばりと、大竹を割るように鳴った。
 何事かと耳をそばだてていると、壁のむこうで亭主が呻きはじめた。不思議に思ってこちらから、
「どうした? どうした?」
と声をかけたが、返事がない。そうするうちにも、亭主の声はだんだん弱って小さくなっていく。
 ただごとではなく思って、次の間の家来たちを起こし、手燭をともして納戸を押し開けてみると、女房が亭主の腹に馬乗りになって、へその下を掻き破り、腸を引きずり出して喰っている。一同、背筋の凍る思いで顔を見合わせた。

 へたに手を出しては後々が厄介であろう。家来に、
「隣近所を起こしてこい」
と言いつけた。
 まもなく皆、目をこすりながらやって来て、
「これは、何事だ!」
と口々に騒いだけれども、女房はたじろぐ気配もなく、また我に返る様子もなく、一心に腸を引きずり出して喰っている。
 亭主は死んでしまった。
 これはもう、鬼の仕業としか見えない。

「鬼であれ人であれ、あれを逃がしてしまうわけにもゆきません。どうか捕まえてください」
と、近所の者たちが頼むので、
「それでは」
と、得意の早縄で取り押さえ、縛りつけておいた。
 そうなっても女房は嘆きもせず、何事もなかったように平然と落ちついている。昨夜見た宿の女房の様子になんの変わりもなく、とても化け物とは思えない。まったく合点のいかないことであった。

 やがて宿の親戚の者が駆けつけ、土地の代官も来て女房を引き立てていったので、高屋は出立した。夜中から朝の七時半にいたるまで、この鬼とも人ともしれないものの相手をして過ごしたのである。
 以来その地に行く機会がないので、その後どうなったかはわからないそうだ。
あやしい古典文学 No.97