『梅翁随筆』巻之五「加賀にて天狗を捕へし事」より

加賀の天狗

 加賀の国の金沢城下に、堺屋長兵衛という数代続いた豪商がいる。三月半ばのこと、長兵衛はふと風流心を起こし、手代や小者を連れて花見に出かけた。
 あちらこちらと眺め歩くうち、ある神社の松の森のほうから大きな羽音が聞こえた。
 仰ぎ見ると天狗である。ああ恐ろしい!と思うひまもなく、長兵衛たちのほうへ飛んできた。

 今にも引き裂かれるかと、生きた心地もなくひれ伏していると、天狗が言うのだった。
「おまえに頼みたいことがある。ほかでもない、このたび京都から仲間がやってくるので、饗応の費用がかさむ。あいにく今ふところ具合が悪いから、明後日の昼過ぎまでに金子三千両をここに持参して、用立ててくれないか」
 いやだと言えばどんな目に遭うかわからない。長兵衛はしかたなく承知した。
「さっそく承知してくれて、ありがたい。それでは明後日にここで待っている。もし約束を破ることがあれば、おまえばかりでない、一家の者ことごとく八つ裂きにして、家も蔵も焼き払うからな。覚悟しておけ」
 こう天狗は言い捨てて、社殿のほうに立ち去った。

 長兵衛は命拾いした思いで早々にわが家に帰り、手代たちに相談した。
 ある者は、天狗の言うとおりにするほうがよい、と言う。別の者は、大金を出す理由がない、という意見だ。なかなかまとまらなかったが、手代頭が、
「たとえ三千両出しても、当家の身代が揺るぐほどのことはない。もし約束を破って家や蔵を焼かれては、再建に莫大な費用がいる。そのうえ、一家の方々の身にもしものことがあれば、とても金銀には替えられない。三千両で災いを転じて、天狗たちを末永く商売繁盛の守護とするのがよいでしょう」
と言うと、長兵衛はもともとその考えだったから、ほっと安心して、この相談は決着した。
 ところが、このことが奉行所に知れて、
「その天狗というのは、どうも怪しい。正体を見届けて、からめ捕れ」
と、捕り手たちに準備させた。

 さて、当日になった。
 長兵衛は麻の裃を着て、三千両を下人に運ばせ、神社の前に積み上げると、ずっと引き下がって待っていた。
 突然、羽音高く、天狗が六人舞い下りた。
「よしよし、約束どおり持ってきたな。借りた金子はおいおい返済するつもりだ。この返礼としては、商売繁盛、寿命長久、疑うことなかれだ」
 こう大声で申し聞かせると、金箱を一箱ずつ二人がかりで持って、神社の裏手に運んでいく。
 長兵衛は安堵して、すぐに家に帰っていった。

 一方、奉行所の捕り手たちは物陰にいて、天狗の出現を不思議なことだと思いつつ、金箱を持ってどこへ行くのか見守っていた。
 天狗たちは、谷に向かって下りていく。
 ここで考えてみるに、『本物の天狗なら、三千両や五千両くらいの金は引っ掴んで飛び去るはずだ。一箱を二人して持って、えっちらおっちら運ぶのは、どうも納得しかねる。よし、このうえは天狗を生け捕りにしよう』
 かねて決めていた合図の法螺貝を吹くと、捕り手が四方から大勢立ち現れて、谷に踏み込み、天狗を六人とも鳥のように生け捕りにして、奉行所に引きたてた。

 吟味するに、鳥の羽と獣の皮で身を包んで天狗の姿をこしらえたもので、まことの天狗ではなかった。だから、飛び下りるのは、傘を持って降りるから自在だけれど、飛び上がることはできないのである。
「加賀の国にて天狗を生け捕ったる話は末代、紙代は四文、評判ひょうばん!」
と、八月に江戸じゅうで売り歩いたのは、この事件のことであろう。
あやしい古典文学 No.99