『今昔物語集』巻第三十一「常陸国の■郡に大きな死人の寄りたる語」より

おおきな死人

 その昔、藤原信通という人が常陸守として任国にいたときのことである。
 任期の終わる年の四月ごろ、おそろしく風が吹いた嵐の夜、某郡の東西浜というところに死人が打ち寄せられた。

 死人の身長およそ十五メートル。半ば砂に埋まって横たわっていたが、騎乗して近寄った人の持つ弓の先端だけが、死体の向こう側にいる人からかろうじて見えた。このことからも、その巨大さがわかる。
 死体の首から上は千切れてなくなっていた。また、右手と左足もなかった。鮫などが喰い切ったのであろうか。五体満足な姿だったら、もっとすごかっただろう。
 俯せに砂に埋まっているので、男か女かわからない。しかし、身なりや肌つきから女だろうと思われた。
 土地の人々はこれを見て、驚き呆れて騒ぐことかぎりなかった。



 陸奥の国の海道というところでも、同じようなことがあった。
 国司は、巨人が打ち寄せられたと聞いて、部下に見に行かせたという。

 やはり死体は砂に埋もれていて、男女いずれとも判別できなかった。女のようだなと思いながら見ていると、教養のある僧なんかは、
「この世にこんな巨人が住むところがあるなどとは、仏の教えにない。だから思うに、これは阿修羅女などではあるまいか。身なりがたいそう清浄な感じだし、もしかしてそうではないか」
などと、もっともらしく推理するのだった。

 国司は、
「珍しい事件だから、朝廷に報告しなければなるまい」
と、上申書を作成しようとしたが、国の者たちに、
「上申したら、必ず役人が調査のために下向するでしょう。そうなれば接待が大変です。なんとか隠して済ませるべきですよ」
と反対されて、結局、上申は取りやめた。

 騒ぎの中、その国の住人のなんとかという武士が死体を見て、
「もしこんな巨人が来襲したらどうするのか。矢はたつのであろうか。試してみよう」
と射ると、矢は深々と突き刺さった。
 この話を聞いて人々は、
「よくぞ試みたものだ」
と誉めそやしたという。

 死体は日を経るにつれて腐乱した。
 あたり一、二キロ四方は人が住めなくなって、みな逃げ去った。悪臭が堪えがたかったのである。

 隠したはずの事件は、やがて国司が帰任すると自ずと世間に洩れ、このように語り伝えたという。
あやしい古典文学 No.101