和田烏江『異説まちまち』巻之二より

丈夫な人

 正月の乗り初めの日のことである。
 下谷の内藤下総守の家老で、梶田藤蔵という人が、雪が降っていたので玄関のような所で乗馬を見ていると、襟元にひやりとするものを感じた。
 振り返ると、乱心者が斬りつけていた。もはや首の半ばまで、ざっくりと斬り込まれている。とっさに片手で自分の頭を押さえ、もう片手で乱心者の腕をねじ上げた。
 そうするうちに人々が駆けつけたので、その者を引き渡し、下帯を解いて首に巻きつけた。そして、自宅は近くだからと、雪中に裸足で帰ろうとする。
 じっさいには瀕死の重傷なのだ。皆が止めると、
「それでは足駄を履いて行こう」
などと言うのを、無理に制止して、戸板に乗せて家まで運んだ。

 家に帰った藤蔵は、近所の伊庭是水という人に手紙を書き、『思いがけず負傷したが、日ごろ修行を怠らないから、全然平気である』などと記した。
 是水が駆けつけると、まさにそのとおりで、正月なので床に掛け物があったが、その文字も読める、などと言っていた。

 傷は治療して癒ったが、傷口に肉が盛り上がって、見苦しい様子になった。
 外科医を呼んで、盛り上がった肉を整形したいと頼んだところ、外科医は、
「疵をまた切り裂かないといけない。一度癒えているのをまた切り裂くのは、外科のすることではない」
と言って、引き受けなかった。
 そこで藤蔵は、壁塗りのコテを取り出して火で真っ赤に焼き、それを傷痕の肉に押し当てた。黒煙が立ち上ったという。
 そのまま外科医を呼び寄せて、火傷の療治を頼むと言って、治療の結果平癒した。

 その後、かの乱心者は田舎に送られていたが、『治ったので出府したい』と願い出てきた。
 しかし、再発したら危ないと思うから、だれも願いを聞こうとしなかった。
 ところが藤蔵は、
「ちっともかまわない」
と言って江戸に呼び寄せ、自宅から十メートル足らずの近所に住まわせたという。
あやしい古典文学 No.109