西村白烏『煙霞綺談』巻之二より

「蛇骨」考

 相模の国の箱根山その他の深山から、蛇骨というものが出る。
 さる医家に尋ねたところ、深山の木々の落ち葉が重なって年数をへ、土中に凝り固まって蛇骨になるという。火山活動によって崩れた場所にうねり曲がって露出しているのを見て、本当の大蛇の骨と思い込んだ場合が多いらしい。
 これに似た話がある。天正年間のことだとかいう。

 大井川の上流、駿河の国志太郡の桑野山という山村で、数千年を経た大蛇が大海に出ようとして、まず大井川に横たわって流れをせき止めた。そして、たくわえた川水を一気に流すのとともに海に向かったのだが、あまりに流れの勢いが強かったために山が崩れて、大蛇は生き埋めになってしまった。
 その後、土が流れて大蛇の白骨が現れた。口と思われるところに人が入って手を伸ばすと、やっと上あごに届くというほどの大きさだった。
 人々は少しずつその骨をとって山畑の垣などに用い、また、胴の骨を柿渋をつく臼にしたり、家のくつ脱ぎの踏台にしたりした。しかし、それらも年々失われていって、今では垣も踏台も言い伝えばかりとなり、元の骨の形に似たものさえまれである。
 一方、油の凝固のようなものがついた石が多数あり、それを大蛇の油だといって、削って切り傷などにつけている。

 最近、その石を手に入れて、武蔵の国で珍しい物を収集している人に贈った。
 その人らの議論の結果、大蛇の油のついた石とは、鍾乳洞でできた鍾乳石だと判断された。その昔に鍾乳洞が崩れ流れたため、このような石が出るのであり、大蛇が山に生き埋めにされたというのは虚説だというのであった。
あやしい古典文学 No.113