橘南谿『東遊記』巻之一「竹根化蝉」より

竹薮のセミ

 越前府中の南に粟田部というところがあり、田舎ながらも、この辺りでは賑やかな里だ。大昔、継体天皇が大跡部皇子と呼ばれたころ、この地に滞在なさったことから、地名を大跡部といったのが、後に「あわたべ」と訛ったらしい。
 ここの粟生寺という天台宗の寺は、坂本西教寺の末寺で、たいそう大きな寺である。住職は私の親友なので、遊歴の途中、二十日ばかり滞在した。

 その住職の話では、前年のこと、わけあって寺の北面の竹薮を掘りおこしたところ、竹の根がことごとく蝉に化していたという。
 身を動かして早くも地上に出かかっているのもあり、まだ半分は竹で半分蝉になりかかっているのもある。いろいろあるけれど、その数は数百数千に及んだ。
 はじめは小僧や下男たちも珍しがったが、あまりたくさんいるので、後には興味を失った。そして、住職は生き物を殺すことになるのを憐れんで、また土に埋め、蝉に成らせてやったという。
 珍物だと思ったので、私も二つ三つ入手して持ち帰った。その中には、背中から竹が生え出ている蝉もあった。

 京都に帰って人に話すと、
「草の根が虫に変化するのは、よくあることだ。竹が蝉になることもあるんだよ」
と応えた。
 たしかに、冬は虫になり夏は草になる例も本草学の書物に記されている。竹が蝉になるのもその類かもしれない。
 しかし、時によって無情のものが有情に変じ、また有情が無情と化するなどというのは、物事の道理を外れているように思えてならない。

 そういえば以前、竹が変じて半ば魚になりかかっているのを見たことがある。
 また、近江の人から、こんな話を聞いたことがある。
「長浜で、山の芋を掘ってきて料理したところ、芋の中に釣針があった。芋を掘った場所は、昔は湖水のほとりだったようだから、その芋はウナギが変じたものにちがいない」
 この話をした人は、いたってまじめで信頼できる人なのだが、はたして真相はどうなのだろうか。
あやしい古典文学 No.120