松浦静山『甲子夜話』巻之七より

天狗にとられた男

 私の厩舎で働いている下僕に、上総の生まれの者がいる。この男はかつて天狗にとられたことがあると聞いたので、ある日、直接そのことを問うと、こんな話をした。

「私は、当年五十六歳になります。あれは四十一の春、三月五日の午前のことでございました。両国橋の辺りを歩いていて急に気分が悪くなったのですが、はたして何ものに魅入られたのか、まったくわかりません。
 ふと気がつくと、信濃の国の善光寺の門前に立っていました。それが十月二十八日です。その間のことはまったく覚えていません。衣類は三月に着ていたもので、もうぼろぼろに破れていました。月代(さかやき)はのび放題で、髪が肩まで垂れています。そんな有様でしたが、幸いにも故郷の知人にばったり出会ったので、その人といっしょに江戸に戻ることができました。
 その後当分は、物を食おうとすると胸が悪くなり、五穀の類いはまったく口にできませんでした。ただサツマイモばかり食べていました。やがて、糞をするたびに木の実のようなものが出て、その便が出なくなると、腹がすっきりして、穀物が食べられるようになったのです」

 この話を聞くに、やはり天地の間には人類にあらざるものも存在するのか、と思われるのである。
あやしい古典文学 No.124