根岸鎮衛『耳袋』巻の四「猫物をいう事」より

猫はしゃべるな

 寛政七年の春のことだ。

 牛込山伏町の何とかいう寺では、猫を飼っていた。
 その猫が庭におりた鳩を狙っているのを和尚が見つけて、声をあげて鳩を逃がしてやった。
 そのとき、猫が、
「やっ、ザンネン!」
と呟いたのである。

 聞いた和尚は驚いた。裏口の方に走っていく猫を取り押さえると、手に小柄(こづか)をかざし、
「おまえ、……」
「………」
「今、しゃべったな!」
「にゃあ?」
「ごまかすな。猫のくせにものを言うとは、恐ろしいやつ。さだめし、化けて人をたぶらかすのであろう。さあ、人語を話すなら正直に申せ。さもないと、坊主ながら、殺生戒を破ってでも殺してしまうぞ」
 猫は観念したとみえて、こう応えた。
「ものを言う猫なんて、珍しくもない。十年以上生きた猫なら、みんなものを言うぞ。それから十四五年も過ぎたら神変も会得できる。もっとも、そこまで生きる猫は、まずいない」
「そうなのか……。ならば、おまえがものを言うのは無理もない。しかし、おまえはまだ十歳になっていないではないか」
「狐と交わって生まれた猫は、十年に満たなくてもものを言うのだよ」

 和尚はしばらく考えた。それから、
「今日まで飼ってきたおまえを殺すのは、やはり忍びない。おまえがものを言ったのを、ほかに聞いた者はいないから、わしが黙っていればすむことだ。これまでどおり、この寺にいるがよい」
と言って、放してやった。

 猫は三拝してその場を去った。
 そのまま何処へ行ったか、行方知れずになったそうだ。
あやしい古典文学 No.125