松浦静山『甲子夜話』巻之九十八より

東海の幻影

 奥州小南部領の江戸へ向かう廻船が、去年の十月ごろ乘員十四名で、穀物と大豆を積んで出帆したが、嵐に遭い、どことも知れない大洋に吹き流された。
 四方を見渡しても陸地の影などない。風と波にもてあそばれること数日、ついに帆柱が折れ舵も壊れて、むなしく海上を漂流するにいたった。
 そうして三ヵ月、ある日の激浪のなか、はるか彼方に山を見た。そのままおりからの強風に押されて着いたのが、思いもかけぬ相模の浦賀の沖だったのである。

 浦賀の番所で事情聴取があり、こんなことを述べている。
「何ヵ月もまったく陸地の姿がないなかで、巨大な石柱が海面から天に直立しているのを見ました。その近辺で七日ほど漂流していたのです」
 この大石柱のことは、浦賀番所の旧来の漂流記録にはない話だという。
 思うに、この船が漂流したのは東海であるが、東海に石柱があるとは、いまだ聞いたことがない。おそらく、海の気象のつくり出した幻影であろう。
あやしい古典文学 No.128