『十訓抄』第七より

松葉を食って仙人になろう

 河内ノ国の金剛寺とかいう寺の僧が、
「松の葉を食べる人は、穀物を食べなくても餓えないということだ。そのうえ、松葉を食べ続けていれば、仙人になって空中を飛び歩けるらしい」
という話を聞いてその気になり、松葉ばかりを食べるようになった。
 穀物を一切口にしなくなって二三年たつと、いかにも身が軽くなったような気がしてきたので、弟子などにも、
「わしは仙人になりかかっているのだ」
と言い、
「なるぞ、なるぞ、仙人になるぞ」
と呪文のように呟きつつ、こっそりと飛ぶ練習をはじめた。

 やがてついに、
「もはや飛べるようになった。天上に昇っていこうと思う」
と告げると、僧坊も何もかも弟子たちに譲り渡し、『天上では仙人の衣を着ることになるから』と裸同然の姿で出かけていった。
「わが身には、これだけあれば、ほかに何もいらない」
と言って、長年秘蔵していた水瓶(すいびょう)だけを腰に下げている。
 弟子や知人たちが名残を惜しむ一方で、噂を聞いた人々が『仙人になって天に昇るのを見たい』とあちこちからつめかけて、大変な騒ぎになった。

 僧は、断崖の上に突き出た岩に登った。『すぐ天に昇ってもつまらない。しばらく近くを飛び回って、みんなに飛ぶ様子を見てもらおう』と思って、あたりを見回す。
 『よし、まずは下の松の枝に飛ぼうじゃないか』と、谷底から生えている高さ十五メートルほどの松の木をめがけて、やっ!と飛び降りた。
 その瞬間、人々は目をみはり、感動の表情を浮かべたが、
 ……どうしたことだろう、気おくれしたのだろうか、僧の体はいつもより重く感じられ、飛ぶ力はまるで弱々しく、松に飛びつきそこねて、谷底へ落ちてしまった。
 人々は、意外ななりゆきに驚きながらも、『何かわけがあってのことだろう。きっと今に飛び上がってくるよ』と思って見ていた。
 だが、飛び上がれるはずはなかった。僧は谷底の岩に叩きつけられて、水瓶も割れ、全身打撲で死んだようになっていたのである。

 結局、弟子たちが助けに行って、
「どうなさったのです。大丈夫ですか」
などと声をかけたが、返事もできず、やっとこさ息をしているだけ。それを、どうにかこうにか僧坊へ運んだ。
 見物に集まった人々は、大笑いして帰っていった。

 僧はしばらくの間、死んだような状態で病み臥せっていた。
 弟子たちは、なんとも恥ずかしい気持ちであったが、ともかく看病を続けた。松葉を食っていては助かりそうにないので、長年口にしていなかった穀物で養生し、命は取りとめたけれども、手足も腰も折れて、起き上がることもままならない。
 その後は、松葉を食べることはやめて、昔のように穀物をむさぼり食い、弟子たちに気前よく譲った僧坊も財産も取り戻して、ただうずくまって暮らしたのであった。
あやしい古典文学 No.131