HOME | 古典 MENU |
浅井了意『伽婢子』巻之九「人鬼」より |
お婆さんは鬼になった |
丹波の国の野々口という所に住む与次という者の祖母は、したい放題のわがままで罪深い生き方をしてきて、いまや百六十歳を超えていた。 与次も八十歳を過ぎ、子が多数、孫はさらに大勢いる身なのだが、この老婆は、与次はわが孫だからと、気に食わぬことがあると叱り飛ばすこと、小児に対するのと変わりない。それでも一家は、当主の祖母として孝養を尽くしていた。 たいへんな高齢でありながら、目はしっかり見えて、なんなく針の穴に糸を通す。耳もさとくて、内緒話をたやすく聞きつける。九十歳くらいのときに歯がみんな抜け落ちたが、百歳を超えるとまた元どおり生えてきた。 世間の人は不思議がり、赤子に『この婆さんにあやかれ』とばかり名前をつけてもらって、ありがたがったりしていた。 老婆は、昼は家にいて麻をつむぐなどしている。ところが、夜になるとどこへともなく出かけていく。 そういうことが続いたので、さすがに家族が怪しんで跡をつけたところ、老婆は気づいて振り返り、物凄い声で威嚇すると、杖をつきながらも飛ぶような足早で、どこへとも知れず歩み去った。 このころになると、体から肉は消え落ちて骨ごつごつと太く現れ、両眼の白い部分が碧く変じていた。朝夕の食事はわずかに摂るだけなのに、気性はいちだんと激しく、若い者もとうてい及ばない。 そのうち、昼にも出ていくようになった。 孫、曽孫、その嫁などに向かって、 「わしの留守に部屋の戸を開けるなよ。窓から覗き込むなよ。もし戸を開けたら呪ってやるぞぉ」 と言って出かけるので、家人は、どんなわけがあるのかと怪しんだ。 ある日、昼に出かけて夜更けまで帰ってこなかったので、与次の末の子が酒に酔った勢いで部屋に入ってみたら、そこには、犬の頭、鶏の羽根、幼児の手首、人の髑髏や手足の骨など、数知れず積み重なっていた。愕然として酔いもたちまち醒め、走り出て父親の与次に告げた。 一族が集まってどうしたものかと相談しているところに、老婆が帰ってきて、部屋の戸が開いているのを見て怒り狂った。 裂けるほど見開かれた両眼がぎらぎら光る。大きくあいた口、罵り呪う声があたりをわななかせる。恐ろしさは言いようもない。 そのまま走り出て、行方知れずとなった。 後に、大江山のあたりで、薪をとっていた者が出会ったらしい。 白い帷子の裾を帯に挟んだ姿で、杖をついて山頂に向かっていく。飛ぶように速い。猪を捕まえてねじ伏せたのを見て、ぞっと身の毛がよだち、逃げ帰ったという。 かの老婆、生きながら鬼になったに相違ない。 |
あやしい古典文学 No.137 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |