浅井了意『狗張子』巻之四「死骸、音楽を聞きて舞い躍ること」より

踊る通夜

 文禄二年の春のことだ。

 山崎の庄屋宗五郎という者の妻は、河内の国の高安の出だった。生来、勝手放題のわがまま者で、後世のことなどつゆほども心にかける様子がなかった。宗五郎と夫婦になって久しいが、子はいない。
 日蓮宗の流れをくむにもかかわらず、題目の一度も唱えたことがない。家のことにつけ田地のことにつけ牛馬のことにつけ、召し使う者に情愛をもって接する気持ちはかけらもなく、物言いは無作法で、口汚く言いたい放題。そうして朝から晩まで俗事にかまけて日を送っていた。
 たまたま人が後世を願うことの大切さを教えようとすると、
「目にも見えない来世のことより、まずこの世のことが大事だよ。見かけばかりの信心で後生を願うくらいなら、願わないほうがましだ」
と、口にまかせて罵ったから、聞いていた百姓連中は爪弾きをして憎んだのであった。

 こういう人も逃れることができないのが、人の命の無常というもので、ふと病気になって、あっけなく死んでしまった。
 葬礼は明日行おうというので、亡骸の前で香をたき、親しい者もそれほどでない者も傍について、通夜しようというときのこと。
 日が暮れたので燈火をともし、さすがにしんみりと物悲しい雰囲気のところに、はるか西の方から音楽が聞こえてきた。楽の音はだんだんと近くに響いて、ついに庭までやって来た。

 ご来迎かと、人々がおごそかな気分になっていると、なんと妻の死骸が動きだした。音楽は家の屋根の上から聞こえている。
 妻の死骸はむっくと起きなおり、音楽の拍子に合わせて立ち上がり、手をかざし、足を踏んで舞い踊った。
 みな肝をつぶして、後ずさりして見守っていたところ、音楽はまた家を離れ、門から出て行った。すると、妻の死骸も倒れたり転がったりしながら、同じく門から出て、音楽につれて歩いていく。
 家じゅうが、
「松明だ! 火を持ってこい!」
などとうろたえ騒いで、収拾がつかないありさまとなった。

 月の暗い夜だった。
 夫の宗五郎も呆れるばかりで、どうしていいかわからなかったが、それでも庭先の桑の枝を手ごろな長さに切って杖にし、通夜の酒に酔った勢いで、死骸のあとを追いかけることにした。
 二キロばかり行った野原の果てに墓地があり、そこの松原の中から音楽が聞こえる。近づいて見ると、松の根元に火があって、あたりを明るく照らしている。
 死骸はその前で、アッホイアッホイ舞い踊っていた。
 宗五郎が杖で叩くと、死骸は倒れて火も消え、楽の音もしなくなった。

 あとは死骸を背負って帰り、葬ったわけだが、どうしてこんなことが起こったのか、まるでわからないのである。
あやしい古典文学 No.139