『梅翁随筆』巻之三「材木屋思はず隠居せし事」より

思わず隠居の材木屋

 深川の材木問屋の主人が、山和巡りの旅に出た。
 使用人一人を供に、春も半ば過ぎたある日に出立し、相模の金沢から鎌倉の島々を廻り、箱根の山にかかった。

 山道を登っていくと、人品いやしからざる男が一人、真っ裸で石に腰かけている。不審に思って言葉をかけると、裸の男はこう言った。
「私は江戸の芝あたりに住まいする者です。刻限を取り違えて夜分にここへ来かかったところ、山賊四五人に取り巻かれ、荷物も衣類も残らず奪われてしまいました。当地の温泉に湯治に来たのですが、こんな災難に遭って、どうしたものかと途方に暮れているのです」
 材木屋はこれを聞き、
「旅は相身互いといいます。私は山和巡りに向かうところで、後世を願うための旅ですから、ここで人の災難を救うのも善根のはしくれくらいにはなるでしょう」
と、衣類と金子を取り出して、
「これで湯治もなさるがよい」
 かの男は、
「まことに思いがけないご恩をこうむります。ほんとうにありがたい」
と喜んで、材木屋の名前と住所を尋ねた。
 金の包み紙に姓名と店の在り処を書きつけて渡すと、
「このお礼は江戸に帰って後、必ずいたします」
と言って、男は温泉場に向かった。

 ところが、その男、当日の晩に頓死した。
 宿の者が死体をあらためると、懐中から住所氏名を記した書付が出てきたので、すぐに深川の店にこのことを知らせた。
 材木屋の女房にとっては突然の知らせで、悲しみ嘆くことかぎりない。
 さっそく手代を湯治場に様子を見に行かせたが、仮の埋葬が済んでいた。掘り出して対面したものの、日数がたって面相が変わってしまっている。衣類は主人の物に間違いない。
 お供の使用人のことを尋ねると、供人はなかったという返事だったが、これは逃げたのだろうと推測して、手代は死体を主人に間違いなしと判断し、あらためて埋葬したのであった。

 手代が形見の衣類を持って深川に帰り、事の次第を報告すると、『もしや間違いでは……』という望みも失せて、女房の嘆きはいいようがない。
 ただでさえ夫婦の死別は悲しいものなのに、これはまた思いがけない出来事なので、妻は悲しみに沈んで、つくづく世の無常を感じ、尼になって後世を願おうなどと言い出した。
 一族の者が集まって、それは困ると女房を説得した。
「子供は七歳の娘がかしらで、男の子はさらに幼少ではないか。今すぐ店を相続することはとても無理だ。さいわい手代頭は実直者だから、あれを婿にして子の後見をさせなさい。それで男子成長の後に家督を譲るというのが、店が繁盛を続けていくための一番いい方法だ」
 結局、女房は納得し、入り婿の町内への披露目も済んだ。

 さて、主人のほうは山和巡りがとどこおりなく終わり、ついでに四国や中国のほうまで見物して、百日あまりたったころに深川に戻ってきた。
 なんと思いもよらぬことに、女房は手代の妻になり、もはや披露目も済んでいるという。
 主人は『これも何かの因縁』とあきらめ、ただちに隠居して別宅に暮らしたということだ。
あやしい古典文学 No.147