『古今著聞集』巻第十七「御湯殿の女官高倉が子あこ法師失踪の事」より

あこ法師失踪の顛末

 建保年間のことだ。

 天皇が湯浴みをする御湯殿の女官であった高倉には、七歳になるあこ法師という子供がいた。
 家は樋口高倉にあったので、あこ法師はほかの子たちと連れ立って、近くの小六絛に遊びに行った。
 日暮れどきに相撲をとっていると、背後の築地の上から何か垂布のようなものが覆いかぶさった。次の瞬間、あこ法師は消え失せていた。
 母親の高倉は悲しみ騒いで、あらゆる心当たりを捜し歩いたが見つからなかった。

 そうして三日目の夜半だった。
 門を激しく叩く者がいる。不気味に思ってすぐには開けず、内から、
「だれ?」
と問うと、
「いなくなった子を返してやる。開けろ」
と言う。それでもなお恐ろしくて躊躇していると、家の屋根で大勢の声が笑いどよめき、何か物を投げ込んだ。
 怯えふるえながらも火をともして見ると、いなくなったあこ法師であった。
 ぐったりして、生きているとも思えない。ものも言わず、ただしきりにまばたきしている。

 それから修験者を頼み、『よりまし』という祈祷を行った。
 これは神霊や物の怪を人形に寄りつかせようとする祈祷なのだが、やってみると、変なものがたくさん寄りついた。馬の糞であった。集めるとたらいに三杯半ほどもあった。
 それでも、物を言うようにさえならなかった。
 あの世からよみがえった人のようにたよりない様子で、十四五歳までは生きていた。その後はどうなったのだろうか。

 これは当時のことを見て知っている人が語った話である。
あやしい古典文学 No.149