佐藤成裕『中陵漫録』巻之七「野狐」より

悪狐

 備中の鳴輪というところの木こりが、かつて山に入り、傍らに狐がいるのを知らずに木を切ろうとして、狐を傷つけたことがあった。
 その後三十年を経て、木こりの元気が衰えたのに乗じて狐がとり憑いた。

 木こりは、
「いついつの年、よくもわしを傷つけたな」
と、毎日毎日そのことばかりを口走って狂乱した。
 あるとき鎌を手にすると、自分の腹をかき切って大腸を引っ張りだした。
 それをものに掛けてさらに引き出し、切り取ろうとしているとき、外出していた妻が帰った。仰天して隣人を呼び、腸を腹におさめて、医者の療治でなんとか命は取りとめた。

 その後、木こりは乞食になった。
 近辺を食を乞うてさまよい歩くが、飲食するとただちに腹の傷口から洩れてしまう。大きなヒョウタンを傷口に付け、その中に大小便とも出る。食べたものがそのまま下るのだった。
 このようにして、両手で杖をつき、腹にまったく力がなくて歩くのもつらいと言って、あちらこちらで食を乞う。そうして三年後、ついに死んだ。

「五臓に障害があって食物を全然消化しないのに三年生きたというのは、まことに疑わしい話だ」
と私が言うと、人は皆、
「命があったのは、悪狐が死なせなかったのだよ」
と言うのだった。

 また、同じ鳴輪の向谷というところの木こりは、斧でもって、自分の腹を木を切るように打ち、臓腑が飛び出した。
 傍にいた人が、何をしているんだろうと寄って見て、狂気の沙汰と知り、急いで医者を呼んで治療させた。
 この木こりの傷はやがて癒えて、命に別状なかった。これもまた悪狐のなせるところだという。

 思うに、このあたりの狐は、ずいぶん悪どいことをするものである。
あやしい古典文学 No.150