百井塘雨『笈埃随筆』巻之二「洪水怪」より

洪水の怪

 安永七年七月二日、京都は、いまだかつてない大洪水に見まわれた。
 山々に水あふれ、谷は崩れ、洛中の堀川や小川は言うにも及ばない。また、西陣大宮通りの上の水門から水が吹き出し、町々の地下にも水が湧き出た。橋が壊れ、家が流されて、溺死する者多数。
 はるか昔には鴨川洪水の防禦使があったと伝えられるが、そのころにも、このたびのように市中の人家が漂流するほどの災害はなかった。

 洪水の前日の七月一日昼ごろ、一乗寺村の天王社の拝殿に、昼休みの百姓六七人が暑さを避けようと行ったところ、年ごろ二十四五の、見たことのない女がいた。姿かたちは卑しくないが、木綿の単衣の着物を着て、手拭いで髪を包んでいる。
 若い者がたわむれに、
「ねえさん、何処から来たの?」
と声をかけると、
「この辺の者だよ」
と応えて、拝殿の絵馬を見てまわり、独り言に、
「病苦平癒の願いごとに絵馬を奉納するのはわかるけど、諸願成就の為と書いているのは欲ボケのきわみだよ。馬鹿だねえ」
などと言って、笑いながら境内を出て行く。

 男たちはまた、
「若い女が独り歩きか。それとも、連れがいるのかい。何処へ行くのかね」
などと、口々にからかった。
 女は応えて、
「連れはいないさ。これから上の村へ行くんだよ」
と、頭の手拭いを取って振り返ったのを見ると、いかにも上品な容貌なのに、頭の髪は真っ白だ。束ねた白髪の下の美しい顔が、いよいよ物凄い。
 皆が、これは! と驚いて息をのむなか、女は村はずれへと走った。
 あまりの怪しさに『行く先を見とどけよう』と二三人があとを追った。しかし、たちまち見失ったので、不思議に思いながら野良仕事に戻ったのであった。

 女は次に、上の村の庄屋の喜内という人の家に現れた。切戸口から座敷に入って、床の間に座っていたのである。
 勝手のほうではそんなことは気づかず、ちょうど喜内は留守で女ばかりであったが、妻がふと座敷に行って女を見つけ、狂女のような者がいると立ち騒いだ。
 一同で行ってみると、女は少しもたじろぐ様子がなく、何者なのかという問いに、
「いや、この辺の者ですが、ご亭主は留守ですか」
と言う。
「ええ、用事があって京の町に出かけています。それにしても、勝手に座敷に上がりこんで、主人に何用ですか」
となじったところ、それには応えず、
「留守なら帰りましょう。用というのは、一言申し伝えたかったのです。今日中にここを立ち退きなさい。さもないと、大難に遭いますよ。わたしもこのあたりに住んでいられないので、ほかへ立ち退くのです」
 女はこう言うと立ち上がって、さらに山の上手のほうに走り去った。

 女の言葉を気にかける者もいた。また、気違い女だよと嘲る者もいた。
 夕暮れ近くなって喜内が帰り、この話を聞いたが決断がつかず、ただ不審に思っているうち、暗くなった時分から強い雨が降りだしてやまず、次第に車軸を流すような大雨になった。山からも地からも水が湧き出て家々を漂わせる。
 喜内の家がいちばん最初に崩れた。そのほか、隣村の家々まで多数が壊れた。『さては、あの女が言ったのは……』と思い当たったが、もう手遅れである。

 女が何者であったのか、結局わからなかった。
 長年棲んでいた大蛇が、災害を察知して棲みかを変えたのだという説もある。
あやしい古典文学 No.157