神谷養勇軒『新著聞集』第十「人活きながら狐となる」より

塩間の稲荷

 伊勢の国、二見浦の近くの塩間という浦に、塩や海草を商って常に京都へ行き来している男がいた。

 あるとき、京都の稲荷の前で休憩していると、年取った狐が一匹現れて、大鳥居をあっちからこっち、こっちからあっちと飛び越えてみせる。
 おもしろく思って熱心に見ていると、
「あんたも越えてみろよ」
と狐が言った。
「いや、わしにはとてもできない」
と応えると、
「それでは教えてやろう」
と、男の着ている羽織を脱がせ、縄を長くつけて鳥居のうえに投げかけて、あっちへこっちへと引っぱる。すると男は、自分が飛び越えているようで、すっかりいい気持ちになった。

 さて、伊勢に帰り、
「今帰ったよ」
とわが家の戸を叩いたところ、顔を見るなり妻子は戸をかたく閉ざした。
「さても恐ろしい古狐じゃ。けっして中に入れるな」
と、おびえ騒いでいるので、
「違う違う、わしは亭主だ。親だ」
と言うのだが、聞き入れてくれる様子はなかった。
 そのときふと思い出したのは、京都の稲荷の前でのこと。男はさめざめと泣いて、
「ああ、わしは生きながら畜生道に堕ちたのか」

 しかたなくわが家の前を立ち去り、海辺で藻草や小魚などを拾い食って命をつないだ。
 その後、人に憑いてその口を借り、
「わしは子も大勢いる身なのに、この姿になって棲み処もなく、つらい思いをしている。相応のすまいを定めてくれよ」
と頼んだ。
 土地の者たちは、長年なじみの男のことだから、ひとしお憐れに思って、小さい祠をたて、塩間の稲荷として祭った。
あやしい古典文学 No.161