『諸国百物語』巻之二「豊後の国何がしの女房、死骸を漆にて塗りたる事」より

漆黒の女

 豊後の国に某という男がいて、その妻は十七歳、すばらしい美人で、夫婦の仲は世に類いないほどよかった。
 男はつねづね妻に、
「おまえが先立つようなことがあっても、けっして再び妻を迎えはしないよ」
などと言っていた。

 ところが、あるとき妻は風邪をこじらせて、ついに死んでしまった。
 いまわのきわに、夫に、
「こうして死んでいくわたしをかわいそうに思ってくださるなら、亡骸を土葬や火葬にしないでください。わたしの腹を裂いて内臓を取り出し、かわりに米を詰め込んでください。それから全身を、漆(うるし)で十四回塗り固めるのです。庭に持仏堂を建て、その中にわたしを入れて鉦鼓を持たせ、あなたは朝夕わたしの前に来て、念仏をあげてください」
と言い残して、逝ったのであった。

 男は遺言のとおり、女の腹を開けて米を詰め、体を漆で塗った。持仏堂を造って安置し、二年ほど念仏を続けていたが、友人に無理にすすめられて、また妻を持つことになった。
 しかし、新しい妻は、まもなく、
「離縁してください」
と言い出した。理由も言わず、ただしきりに離縁を願うのである。男はいろいろとなだめたけれども、
「とにかく、あなたと一緒にこの家に住むことはできないのです」
と言って、ついに実家に帰ってしまった。

 その後、何度あらたに妻を迎えても、みな同じように言って実家に帰ってしまう。
 これは何かあやしいわけがあるのだと思って、さまざまに祈祷などをしたうえで、また妻を迎えたところ、祈祷の効果があったのか、当分なにもなかったが……。

 ふた月ほどたったある夜、男は他家へ遊びに行き、妻は女中たちを集めてよもやま話をしていた。
 夜の十時ごろ、外から鉦鼓の音が聞こえてきた。不審に思って聞くうちに、音は次第に近くなって、女たちのいる奥の間のほうまでやってきた。
 みな驚き怖れて、部屋の戸の掛金をさし固め、身を縮めていると、ふた間、三間と、戸をさらリさらりと開け、あと一つというところで、女の声が、
「ここを開けろ」
と言う。しかし恐怖で身じろぎもできない。
 すると女の声は、
「開けないというなら仕方がない。ひとまず今夜は帰ろう。またお相手しに参るから、そのつもりでおれよ。わたしが来たことを、けっして夫に語ってはならぬ。もし話したら、おまえの命はない」
 こう言って、また鉦鼓を鳴らして帰っていった。
 そのとき隙間から覗いたところ、年のころ十七か八、全身が真っ黒の女が鉦鼓を持っているのが見えた。

 しばらくして男が帰ってきたが、『語れば命はない』との言葉が恐ろしくて、その夜は何も話せなかった。
 翌日、妻はただ、
「わたしを離縁してください」
と頼んだ。しかし、
「にわかに、なぜそんなことを言うのだ」
と夫が問いただすので、やむなく昨夜の出来事を話してしまった。
 夫は内心の動揺をおさえて、
「それは狐か何かのしわざだろう」
とそ知らぬふりで、『ぜひとも離縁を』と願うのを、あれこれ言ってなだめすかした。

 それから四五日ほどして、また男が出かけていた夜半、外から鉦鼓の音が聞こえてきた。
「そら来た」
と戸の掛金を固めて部屋にこもっていると、女の声が、
「ここを開けろ、開けろ」
と言う。
 みな怖れわなないていたのに、不思議なことに急に眠くなって、女中たちは前後不覚に眠り込んでしまった。
 妻だけは眠らずにいた。
 そこへ、二重三重の戸をさらりさらりと開けて入ってきたのは、漆で真っ黒に塗り固めた女である。背丈ほどもある髪を揺り下げて妻をつくづくと見おろし、
「おまえはひどいやつ。この前わたしが来たことを、夫に語るなと言ったのに、さっそく話してしまうとは。かえすがえすも怨めしい」
 こう言うやいなや飛びかかり、妻の首を捻じ切って帰っていった。

 知らせをうけて男が帰宅し、女中たちから一部始終を聞いた。
 男が持仏堂を開けてみたら、黒色の女の前に、今の妻の首が置かれてあった。
「おのれは、なんて心根の腐ったやつなんだ!」
と仏壇からひきずり下ろすと、女はかっと眼を見開き、男の喉首に喰いついた。
 それで、男もとうとう死んでしまった。
あやしい古典文学 No.163