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『巷街贅説』巻之四「渋谷狐釣」より |
堀田屋敷の狐狩り |
下総の国印旛郡佐倉の城主、堀田備中守の渋谷の下屋敷は、笄橋の辺りから広尾の辺りまで続いて、ずいぶん広壮だという。 先代の奥方だとかいう婦人の隠居が、そこに住んでおられる。 五月十四日、隠居のお付きの医師の三輪玄春(三十二歳)が夜中に部屋から浮かれ出て、そのまま行方知れずになった。 五六日過ぎて、屋敷内の中山深く、人の行かない草むらの中から死骸が見つかった。その様子は、まさに狐狸にたぶらかされ、精気などを吸われて殺されたかのようであった。 隠居はたいそうなお怒りで、当主に狐狩りを行うよう申された。 堀田備中守は、領国の佐倉から、魚の運搬を生業としながら狐を獲る名人だという藤兵衛という者を呼び寄せ、悪狐を一網打尽にするよう命じた。 藤兵衛はさっそく仕事にかかり、六月十二日の夜以来、狐十一匹、狸一匹、尋常の大きさではない猫一匹を捕らえた。 そのやり方というのは、こうだ。 かの医師が化かされた辺りに、魚の内臓などをまき散らし、罠を仕掛ける。さらに自分自身は酒を飲み,ほどよく酩酊する。そして、ゴマメを手にその辺りに行き、泥酔をよそおって気持ちよさげに踊り歩く。 狐どもが魚の内臓を食おうとして集まってくるころ、酔いつぶれて草の中で眠ったみたいにしていると、悪狐がこれを試みようと、しだいしだいに近づいてきて、しまいには手足や頭を舐めまわる。 そのとき、たわごとを言いながらそろそろと起き上がって、またさっきのように踊ると、狐らは化かしたものと心得て、いっしょになって踊る。そこで、持ってきたゴマメをまきこぼしつつ、罠のほうへ狐をおびき寄せて、ついに捕らえるのである。 実に不思議な方法を覚えたものだと、もっぱら世間の噂である。 捕らえた狐や狸は,その都度お屋敷に出して、当主のご覧に入れているということだ。 |
あやしい古典文学 No.164 |
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