大朏東華『斉諧俗談』巻之五「人魚」より

人魚あるいは魚人

 言い伝えによれば、推古天皇の二十七年、摂津の国の堀江で、漁師の網に怪しいものがかかった。
 その形は小児のようで、魚には見えないが、かといって人間でもなく、なんとも言いようがなかった。

 また、西国の大海では、頭は女、そのほかはまったく魚というものがよく見つかるらしい。
 色は浅黒くて鯉に似ている。尾が二またに分かれ、二つの鰭(ひれ)に水掻きがあって手のようである。足はない。
 これが急に嵐になりそうなときに現れると、漁師は、網にかかっても、気味悪がって獲らないそうだ。

 『本草綱目』では、『稽神録』から引用して次のように述べている。
 謝中玉という人がいた。あるとき水辺を通ると、一人の婦人が水中を出没しているのが見えた。その腰から下は魚だった。
 また、査道という人が高麗へ使者として向かったとき、砂浜に一人の婦人を見た。肘の後ろに紅の鰭があった。
 この二つとも、魚人であるとのことだ。
あやしい古典文学 No.166