井原西鶴『西鶴名残の友』巻三「幽霊の足よは車」より

腰抜け幽霊

 出羽の国の象潟は、夕景のすばらしさで知られた海岸である。汐越の入江、八十八潟、九十九森など、みな名所となっている。
 酒田の港に続く袖の浦も、古歌に詠まれている場所だと思うと、小さな松原も風情あるものに見える。
 この地に寺があり、僧は連歌・俳諧を好んで、床の間には連俳の席で用いる文台が置かれている。文台の裏には、大阪の俳人玖也が『文臺や袖の浦書かへる雁』と記している。
「これももう、古筆になってしまいました」
と、寺の僧はなつかしげに語ったのであった。

 さて、そんな昔を思いながら旅の道をゆき、恋の山という山の麓に着いた。
 まもなく日が暮れてきた。
 繁った小笹を掻き分けて山道を登っていくと、行く手の暗い木陰に女がいる。髪を振り乱した姿で、岩にしたたる水を手で受けて飲んでは息をつくたび口から炎を吐き、身をよじって苦しむ様子は、とてもこの世のものとは思われない。
 恐ろしさのあまり逃げ腰になったが、一行の中には僧侶もいて、こういうときには頼りになる。
 僧侶は少しも動ぜず、
「おまえはなぜ、この世に迷っているのかね。その心のうちを懺悔しなさい。成仏できるようにしてあげるから」
と言うと、幽霊ははらはらと涙をこぼした。

「ありがとうございます。それでは、わたしが思い死にしたいきさつを語りましょう。
 わたしには、一生にこの人だけと思いをかけた男がおりました。それはもう美しい男でしたから、病気になるほど恋したあげく、やっと深い仲になったのでございます。そして、もし死に別れてもまた男を持つな、女を持たないと互いに神仏に誓い、永遠に二人でと信じておりましたのに、まだ死にもしないうちに男は気が変わり、わたしより年上の女とできてしまいました。
 そうなるとわたしが邪魔です。死んでしまうようにと山伏や巫女に祈祷を頼んでいるということを聞きまして、もうこの世に生きている甲斐はないと思いました。悲しさと悔しさに身もだえし、胸に怨みの火をためて、『おのれ! おのれ!』と念じつつ死んだのでございます。
 今、二人は夫婦になって一緒にいるので、これをとり殺さずにおくものかと、草葉の陰から夜ごと通っておりますと、二階座敷から二人の声がしてきます。このときとばかりに駆け登ったところ、あせって階段を踏み外し、落ちて腰をひどく痛めてしまいました。こんなことでは、とても怨みが晴らせません。ああ、痛い痛い……」

 一同、これを思うに、
「今の時代の人間は、昔に比べて気力がなくなってきている。だから、死んで幽霊になっても力がないのだ。死ぬ間際に怨みを言い、『七日のうちにとり殺してやる』などと物凄い形相ですごんでも、昔と違って念力が弱いから、相手に届かない。……なあ、幽霊よ、そういうことだから、おまえもあきらめろ。武士なら腰抜け侍の役立たずということになるが、幽霊なら腰抜けでも差し支えはないよ」
 そう言って、幽霊の腰に膏薬を貼ってやったのであった。
あやしい古典文学 No.169