滝沢馬琴編『兎園小説』第六集「蛇化して蛸と為る」より

七本足の蛸

 越後の刈羽郡の海岸は、古歌にもうたわれた当国一の荒磯である。出雲崎から見ると、東南はまるで刀で削り落としたように峻厳な山々が連なり、西と北は見渡すかぎり果てしもない大海が広がっている。寄せては返す波の荒さも凄まじい。
 かねてより聞く話では、その海岸の砂浜に石地という漁村があって、海に面し山を背にしている。背後の山には松が多いが、その隣の山もまた松山で、麓には石の六地蔵が立っている。それで、当地ではその辺りを賽の河原と呼んでいる。
 石地の子供たちは、毎年夏にはこの浜に出て、終日遊び暮らすのだ。

 文化九年六月十六日、文四郎という十五歳になる者が、友達三人とともに賽の河原の海辺に出て泳ごうとしたとき、六地蔵のわきから長さ一メートル半ほどの蛇が這い出てきた。
 文四郎たちは手に手に棒を持って打ち殺そうとしたが、蛇はただちに海に入り、波を押し分けて泳いでいく。
 四人は衣類を脱ぎ捨てて逃げる蛇を追い、水中から突き出た岩を飛び伝って、『おいそ岩』と呼ばれる岩のところにやって来た。
 そのとき蛇は、岩角に何度も体を打ちつけている最中であった。何をしているのだろうと思って見ていると、蛇の尾はたちまち幾筋かに裂け、周囲の海水は黄色く変色した。
 この情景を見ても文四郎たちは恐れることなく、「逃がすな、逃がすな」と声をかけあって、ついに打ち殺してしまった。

 死骸を引き上げてよく見ると、蛇はほとんど蛸に変身していた。裂けたところは足になり、吸盤のイボさえもうできている。頭も元の蛇とは異なり、まるく膨らんで、まさに蛸にほかならない。ただし、その色は白っぽく、赤い部分がまるでない。それも日を経れば赤みがさしてくるという。
 その形がもとからの蛸と大きく違うのは、足が八本でなく、七本しかないところだった。それだからであろう、この地の漁師たちは、七本足の蛸を獲ると、これは蛇が化けたのだといって捨てて食べない。
 ともあれ、蛇が蛸になるのをまのあたりに見るのはきわめて珍しいことで、文四郎たちの体験は近辺の評判になった。

 今年、越後の友人が出かけていって、その蛸を見た。また、文四郎にその折の様子をよく聞いて、地図まで書いて送ってきた。
 私は、以前に越後全体の地図によって知ったのだが、『おいそ岩』のほとりには『蛇崩』という場所がある。また、その近くに深い淵がある。淵の主は大きな蛸である。また、巨大な亀だともいう。
 近ごろ、ある漁師の娘が海苔を採るためにそこに行って、淵に引きずり込まれた。死体はついに上がらなかったそうだ。思うに、亀の性質は蛇に近い。
 何にせよ、蛸の八本足でないものは、食べないにこしたことはない。
あやしい古典文学 No.179