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高古堂『新説百物語』巻之四「釜を質に置きし老人の事」より |
釜ひとつ |
大宮の西に、作兵衛というものがいた。六十歳を過ぎて妻子もなく、裏長屋を借りて独りで住んでいた。 毎朝、醒井通りの吉文字屋という質屋に釜をひとつ持ってきて百文借り、その銭で菜や大根を仕入れて町中を売り歩く。売り上げの利で暮らしのものを買い、夜になると吉文字屋から釜を請け出して飯を炊く。翌朝はまた、釜を持っていって百文借りる。 このように暮らして三年たった。 吉文字屋の主人は、あるとき言った。 「もはやこの釜も三年にわたって質に取り、利子も過分に貰っている。毎日毎日持ち込むのは苦労だろうから、この釜の質値百文は、あんたにさしあげる。安心して商いをしなさい」 作兵衛が応えて言うには、 「お気持ちはありがたいが、私の持ち物といってはこの釜ひとつで、ほかに何の蓄えもありません。それゆえ、朝出かけるときも戸締まりせず、夜寝るときも心配がないのです。釜ひとつでも家に置いていると思うと、気がかりなことですから、やはり、毎日面倒ながら質にお取りください」 それからまた一年ばかり、作兵衛は質屋に通っていたが、ほどなく死んだ。 吉文字屋の主人はそれを聞いて、店の者に五百文持たせ、様子を見に行かせた。 使いが帰って来ての話では、たしかに釜ひとつのほか何の蓄えもなく、長屋の者が集まって弔いの世話をしたということだった。 まくら元には辞世とおぼしい発句が、反古のはしに書いて置かれていて、皆は、どのような身の上の人がああして暮らしていたのだろうと、語りあったそうである。 その発句に、 身は終の薪となりて米はなし 名を、無窮としたためてあった。ふだん字を書くことなどなかったのに、手跡もなかなかのものであったらしい。 |
あやしい古典文学 No.180 |
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