HOME | 古典 MENU |
菊岡沾凉『諸国里人談』巻之三「洞穴」より |
比丘尼の洞穴 |
若狭の小浜にある空印寺は、八百比丘尼の住んだところである。比丘尼の姿をきざんだ像がある。 像の傍らに洞穴がある。穴の奥は深く限りない。 土地の者の話では、五六代前の空印寺住職が穴に入って奥を調べたところ、三日目に丹波の山中に出たということだ。 八百比丘尼については、次のように伝えられている。 『昔、女の僧がここに住んだ。齢八百歳にして、その容貌は十五六歳の若さと美しさであった。よって八百比丘尼と呼ばれた。この女僧は人魚の肉を食べたために長寿なのだと人々は語った。』 また、武蔵の国の足立郡水波田村に慈眼寺という寺があるが、その仁王門の傍らにエノキの切株がある。周囲六メートル、切り株の上に筵を六畳敷くことができるという。 これは若狭の八百比丘尼が伐った木だと言い伝えられている。 さらにまた、掘り出しの地蔵というものがある。近年、土中から掘り出した本尊である。地蔵が入っていた石櫃には、『八百比丘尼、大化元年』と彫ってある。 大化は三十七代天皇である孝徳帝の年号であり、今の寛保から数えておよそ千百余年も以前である。 |
あやしい古典文学 No.189 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |