佐藤成裕『中陵漫録』巻之四「狐鳥を埋」より

鳥を埋める狐

 私が十七歳の春のことだ。
 早朝、菜園に出てみると、白い羽が散っていた。不審に思ってそこを掘ると、雌鶏が埋まっていた。前日は初午(はつうま)で、稲荷社で初午祭りがあったが、その夜、狐が鶏を埋めたにちがいなかった。
 私が、
「さっそく煮て食おう」
と言ったところ、母は、
「狐の埋めた物をとってはいけないよ。きっと仕返しされるから」
と反対した。それで、また埋め戻しておいたら、二の午の夜に狐が来て、掘り出して持ち去った。
 さては、二月の初午・二の午を、狐も知っているということか。

 肥前の島原では、こんなことがあったらしい。
 ある人が野原で、狐が埋めた鶏を掘り出した。その晩、友人たちを呼び、まさに煮て食おうとしたとき、村長の下男が現れて、
「その鶏は主人に進上したい。代わりにこの鳥でどうか」
と、一羽の鷺を取り出した。
「村長に差し上げるというのなら、取り換えよう」
というわけで、結局その鷺を貰って煮て食ったところ、ひどく酸っぱい味がして、まずかった。
 翌朝になって気をつけて見ると、鷺ではなかった。村に先だって疱瘡で死んだ赤児があったが、その死骸を墓から掘り出して持ってきたらしかった。
 村長の家に行って尋ねると、そんなことは全然知らない、とのことだった。
 このように、狐の知恵は人にまさることがある。村長の名を出せば村中の人が応じることを知っていて、この策略を用い、鶏を奪われた怨みを報いたのである。

 それにしても、狐が鳥を埋める話は、しばしば耳にする。何のためにそんなことをするのかは知らない。
あやしい古典文学 No.200