『奇異雑談集』巻四「産女の由来の事」より

産女

 ある人が語った。
 京都の西の岡あたりで、二晩三晩と産女(うぶめ)の声を聞いたが、赤子の泣くのに似ていた。
「産女の姿を見よう」
というので、二三人で出かけて、夜おそくに耳をすましていると、百メートルばかり東の麦畑のほうから聞こえてくるのがわかった。
 火で照らしてよく見ようと、今度は七八人を誘った。弓・槍などそれぞれ武器を携え、松明をかざし、麦畑の中を手分けして捜すと、麦の少ない場所に物の影が見えた。
 十メートル足らずまで近寄って見ると、人の形をして、両手を地面につき、ひざまずいた格好でいる。
 人を見ても驚く様子はない。
 みなが、
「射殺そう」
というのを、古老が、
「射ることは無用じゃ。化け物だから死なぬし、怨みをもたれたら村に祟りをなすかもしれん。なにもせず帰るがいい」
と止めたので、そのまま帰ったという。
 この話は、そのままには信じがたい。

 また、世俗にこんなことを言う。
 妊娠して出産にいたらぬまま死んだ女を野捨てにすると、胎内の子が死なずに野に生まれた場合、母の霊魂が産女の形を得て、子を抱き養って夜行する。
 その赤子が泣くのを、産女が泣くというのだ。その形は、腰から下が血に浸って弱々しい。
 人が産女に出会って、
「この子をおぶってやってください」
というのを、厭がらずに背に負ってやると、その人に福がくるという。
 これもまた、本当かどうか知らない。

 中国で姑獲(こかく)というのは、日本の産女である。姑獲は鳥で、だから『本草綱目』の鳥部に載っている。
 その解説にいわく、
「別名を乳母鳥。その由来は、産婦が死んでこの鳥に変じ、よく人の子をとっておのれの子とするにあり、胸に双の乳がある」云々。
 人の子をとってわが子とし、乳を飲ませて養うのが、人の乳母に似ているために「乳母鳥」というのである。
 子のない婦人で、子が欲しくてたまらない者、妊娠したけれども産むことができず難産で死んだ者は、その執心が変じて、鳥となって夜飛び回り、人の嬰児をとるのである。
 また、中国の博物書『玄中記』には、
「別名を隠飛(おんひ)、また夜行遊女。よく人の嬰児をとって養う。嬰児のある家で、血がその子の衣に付くのをもって存在が知られる。夜、小児の衣を外に出さないのは、このためである」云々。
 姑獲が夜に飛び回り、嬰児のある家に行って様子をうかがうとき、子の衣が外にあるとそれに触れるため、姑獲の血が衣に付く。それを見て姑獲が来たことが知れる。姑獲は産婦が死んで変じたものだから、その身は血に浸っている、ということである。
 日本でも、夜、小児の衣を外に干すのを忌むのは、このことによる。
あやしい古典文学 No.201