荻田安静『宿直草』巻二「三人しなしな勇ある事」より

俺たち何も怖くない

 とある人里から離れた場所に、化物が棲むといわれる神社があった。
 夜にそこへ行く者など誰もいなかったが、近くの村に馬鹿で知られる三人組がいて、
「ああいう人の行かない所には、何があるのだろう。見に行って、話の種にしようぜ」
などと話し合い、真夜中に三人そろって出かけていった。

 神社に着き、拝殿に入ってみたが、夜の闇は深くても、ただ静かなばかりで、何事もない。
 それでも、やがて何かあるかもしれないと待っていると、時を経て、天井で人が寝返るような音がした。
 三人は並んで坐っていたが、右端の一人が、
「なあ、今の音、聞いたか」
と言うと、まん中の男が、
「うん。そういえば、さっきなあ、頭の上にポツポツと三つほど雫が落ちてきて、指につけて嗅いでみると、やけに生臭かった。どうやら天井裏に、変なやつがいるらしいな」
 その時、たいそう哀れな女の声が、
「もし、下の人。一人あがってきて、わたしを助けてください……」
と呼んだ。その声が闇にこもって、なんとも凄まじい。
 左端の男が立ち上がって、
「どこから登ればいいんだ」
と問うと、天井の声は、
「その隅に梯子があるでしょう……」
 そこで、暗闇を探りながら天井に登り、
「さて、おまえさん、何者だい」
と尋ねると、

「恥ずかしいことですが、話さねばわからないでしょう。わたしは里の某家の者なのです。某の妻だったわたしに言い寄る人がおりまして、なにくれと口説かれるうちに、その人の情けも捨てがたく、心乱れた末に、不倫の仲になってしまいました。そのことは深く隠しておりましたが、密会を続けるうち、いつしか人の噂になり、ついに夫の知るところとなったのです。
 夫はわたしの愛人を殺しました。そして、わたしをここに連れてきて縛り、愛人の首を抱かせて、こう言ったのです。
『化物に喰われろ。さもなくば飢え死にしろ。思い知るがよい』
 こうなっては、もはや辛いばかりの命を長らえようとは思わない。こんな恐ろしいところでしばしの命をつないで恥をさらしながら、誰を恨むこともできないのだから。そう思って、今日の昼も夫が来たので、
『ひと思いに殺してください』
と頼んだのですが、夫はとりあわず、小刀で太腿に三度切りつけて、帰っていきました。しかし、すべてわたしのしたことが原因だと思うと、恨みのやる方もありません。さっきの生臭い雫は、その傷の血なのです。
 このような身で命を惜しむのではないけれど、一度はふるさとへ帰り、老いた母にも会い、後世のことも頼みたいと思います。お情けで、縄を解いて助けてください……」

 あさましい話ながら、なんとも哀れである。下にいる二人に、
「どうしようか」
と言うと、
「俺たちは今夜、たまたま思いつきでここに来たんだ。そう思いついたのも、その女を助けろという、神仏のお告げかもしれん。連れて下りたらどうだ」
と、下の二人が応えた。
 縛めを切り、女を連れて下りて、
「亭主の家に帰るわけにはいかんな。親里はどうだ」
と聞くと、女は、
「そこへ……」
と言う。
「そんなに遠い道でもない。ことのついでに送ってやろうじゃないか」
「よかろう」
というわけで、女を先頭に歩きだした。

 女は何日も物を食わず、縄で縛られていたし、さらに太腿に負傷しているので、歩くのに難渋する。手を引き、腰を押して二百メートルほど行ったとき、また女が言い出した。
「ああ、わたしのせいで殺された人の首を、忘れていました。あのままにしては、草葉の陰で恨むことでしょう。わたしの冥土の旅の差し障りともなりましょう。なんて罪深い……」
と、さめざめと泣くのであった。
 拝殿で右端にいた男が、
「わかったよ。取ってきてやろう。みんなは先に行ってくれ。あとから追いつくから」
と言って神社に戻り、まもなく腐りかけた首を提げてきた。
 そして、首をそこらのあぜ道に埋め、三人して女を親元まで送りとどけた。

 ああ、大胆なこと甲乙つけがたい三人である。
 生臭い血のしたたりにも平然として慌てない男がいるかと思えば、鬼とおぼしい女の声に応えて天井に上がる男もたいした馬鹿者である。生首を取りに独り帰った男も、たいがい常軌を逸している。
 三人それぞれながら、その勇敢さは同じだ。物に動じることを知らない生まれもっての馬鹿者たち。彼らこそ、虎口に向けて先頭に立たせたい者である。
あやしい古典文学 No.205