柳原紀光『閑窓自語』上「近江水虎語・肥前水虎語」より

水虎

 近江の人の話では、琵琶湖には河郎(かわろう)が多く棲むらしい。別名を水虎、俗に河太郎、河童などと呼ばれる獣である。
 河郎は人を襲って命を奪い、あるいは誘拐し、また、深夜に人家に来て人を呼ぶなどの害をなす。
 この獣が寄りつかないようにするには、麻殻を置くとよい。また、大角豆(ささげ)を嫌うので、これを持っている人には近づかない。舟に鎌を掛けるのも、河郎を避けるまじないだという。

 肥前島原の神官が語ったところによると、かの国にも河郎がたくさん棲んでいる。年に二度ほどは必ず、人を海中に引きずり込み、精血を吸ってのち、屍体を返してくる。
 その屍体は、棺におさめたり葬ったりしてはいけない。そのまま板に載せ、草庵をつくって中に入れる。そして、香花を供えないで放置しておくと、亡骸が腐乱する間に、その人を襲った河郎の身体も爛れくずれて、おのずから斃れるのである。
 だれが最初に発見した方法か分からないが、これ以外によっては、河郎を人間の手に捕らえることはできない。まことに奇術というべきであろう。
 河郎は、わが身が爛壊していく間ずっと、屍体を置く草庵のまわりを悲しみ泣きめぐる。人にはその姿が見えない。ただ声だけを聞く。
 そんな時、もし誤って香花を供えると、河郎はそれを持ち帰って食べ、すると身体は爛壊しなくなる。途中で亡骸を棺に入れて葬った場合も、河郎は死に至らないのだそうだ。
 そもそも河郎は身を隠す術を心得ていて、死ななければその形を見ることができない。じつに妖力強く、奸悪の水獣だといえる。
あやしい古典文学 No.206