滝沢馬琴編『兎園小説外集』第一「堕陰茎」より

孫四郎の陰茎

 文政九年六月二十八日の午後二時ごろ、牛込水道町で豆腐屋を営む幸助宅へ、馬を引いた若い男が現れた。
 ずいぶん酔っぱらっていて、
「豆腐の殻があったら買い受けたい」
と言うので、ないと断った。
 男はまた馬を引いて出て行こうとして、鼻綱で馬のつらを強く打った。馬が驚いて後足立ちになったため、鼻綱が足に巻きついて、男は馬の口の下に仰向けに倒れた。その際、ふんどしが外れて、陰茎が露出した。そこに馬が噛みつき、首をひと振りすると、付根から毛が二三本ついたまま、陰茎を喰い切った。

 男は気絶もせず、幸助宅で薬をつけてもらい、傷口を綿で包むなどの手当てを受けると、
「このぶんだと、歩いていけそうだ」
と、陰茎を紙に包んで自分で持ち、馬を引いて帰っていった。
 ところが男は、およそ十四五軒も行き過ぎたところで、わが陰茎を道端に捨て、そのまま行ってしまった。それを見た幸助が後を追ったけれども、どちらへ行ったか見失った。仕方がないから陰茎をアワビの貝殻に入れ、町内の自身番へ持参した。

 かの若い馬子の心あたりを近辺で尋ね調べたところ、五軒町の小普請役、稲生左門の屋敷へ下掃除に来ている者で、豊島郡早淵村の百姓、孫右衛門のせがれ孫四郎とわかった。
 翌日、町役が孫右衛門方を訪れ、孫右衛門に前日の事件のことを話したが、いっこうに知らないと言う。
 そのとき、次の間に寝込んでいた者が頭を上げて、
「昨日は思いがけないことで、いろいろお世話になりました。今日は傷がひどく痛んで寝起きもままならず、こんな格好で失礼します。昨日のことは、親父にはまだ話してないのです。女房には昨夜話しましたところ、驚いて、今は泣いております」
 町役は、まことに気の毒だと述べてから、
「きのう道端に捨て置かれた陰茎を持参しました。このような陰茎を捨てられては、町内として奉行所に訴え出ぬわけにもいかない。そうすると物入りも何かとかかり、はなはだ迷惑。よって持参したしだいで……」
などと説明した。

 そこへ、孫四郎の妻で二十一か二くらいの歳に見える女が、悲しみに打ちひしがれた様子で奥から出てきた。
「昨日はわが夫が、ご町内にて思いがけない始末となって手厚くお世話いただき、そのうえ今日は陰茎までご持参いただくとは、お手数まことに申し訳ありません。大いによろこび、厚く御礼申します」
 このように目に涙を含んで言うので、当人の名前ほか委細を確認した上で、問題の陰茎は妻に引き渡されたのであった。
あやしい古典文学 No.210