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滝沢馬琴編『兎園小説』第三集「あやしき少女の事」より | |
あやしい少女 |
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先月二十五日の朝五時ごろ、新肴町の大工伝吉が、七歳になる娘のかめを連れて、弓町の忍冬湯という薬湯にまいりました。するとそこに十一二歳くらいの小娘がいて、かめと友達のように心安く話などいたしました。 伝吉が帰ろうとすると小娘が、 「かめちゃんにいいものをあげる。もうちょっと一緒にいさせて」 と言うので、伝吉は何の不審も感じずに、一人で先に帰りました。 伝吉が家に帰ってしばらく後、小娘がかめを連れてまいりました。ずいぶん馴れ馴れしくふるまって、かめの髪を結い直し、菓子をくれたりするので、住所を尋ねると、忍冬湯の向かいの米屋の娘だと申しました。 それからすぐ、小娘はかめを連れて木挽町の芝居に行き、帰りに伯父の家だという木挽町二丁目の裏長屋に入って、かめに古い丹後縞の帯一本、木綿縞の子供の前垂れ一つ、黒ちりめんのおこそ頭巾一つをくれて帰しました。 その翌朝、小娘は徳利に酒を一合ほど入れて持参し、母が持っていけと言ったと申しました。 そのすぐあと、またまた酒を少し徳利に入れ、メザシ鰯一串とともに持参しました。自分で酒を燗して飲み食いし、さらに伝吉の家にあった浅漬けの香の物を貰って食べ、 「これはどこで買ったの? どれくらい買ったの?」 などと尋ねてから、帰っていきました。 その後すぐにまた、伝吉の家のと同じ浅漬けを一本持参し、自分で洗って一寸くらいに大きくぶつ切って、無作法に食べて帰ったので、伝吉方でもさすがに変に思いました。 その夜、伝吉の妻のいくが、忍冬湯の向かいの米屋に礼を言いに行きましたところ、米屋は、そのような娘はいないと言います。その近所に尋ねても、いっこうに知らないとのことでした。 二十八日早朝、また小娘がやって来たので、再び住所を尋ねましたが、あれこれ言ってはっきりいたしません。そこで、いくと十六歳になる息子の兼次郎とが行く先を確かめようと話し合い、帰るときに跡をつけました。 しかし、南横町から西紺屋町河岸へ足早に行くのまで見届けましたが、その先は見失ってしまいました。しかたなく近辺でいろいろ尋ねたところ、その小娘はあちこちに現れて、女の子の髪を結ったりしているとのことでした。住所を尋ねるといろんなことを言って正体知れず、まったく狐か狸の仕業とも思われます。 最近、方々の噂にもなっておりますので、このことを申し上げる次第です。 十二月十一日
以上、書かれたままを写した。これは文化元年のことである。 |
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あやしい古典文学 No.211 |
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